人生なんて、もんじゃみたいなもんじゃ

もんじゃ焼きのような人生に対してのぼやき

「いつか別れる。でもそれは今日ではない」を読んだ男子大学生の所感(4)

お久しぶりです。今回が第4回です。最後です。

第3章の「寂しいって言って」、第4章の「恋愛を越えろ、夜を越えろ、永遠を越えろ」から抜粋します。コメント等、依然としてお待ちしております。

 

 

いつか別れる。でもそれは今日ではない

いつか別れる。でもそれは今日ではない

 

 

最初は、「20歳の時に知っておきたかったことリスト」より二つ。

 

賢さ・強さ・美しさという言葉の意味を、自ら定義し、その定義を体現し続けること

これ大事な気がしますね。何事も自分の中で定義づけることは大事だと思っています。今暫定的に考えたのはこんな感じでしょうか。

賢さ

自分が直面したことのない事案に対し、自分がもっている情報から、一定の示唆を示せること。そのために考え抜くことができること。

強さ

自分の弱い部分を認めた上でやるべきことを見極め、結果を出しに行けること

美しさ

自分の年齢ごとに味を出せること。

 

これは、考えが変わったら更新しようと思います。定義の変遷を見ていくのも面白いかもしれません。

 

真っ先に挙げられる愛読書を10冊は読むこと

⑴嫌われる勇気

⑵いつか別れる、でもそれは今日ではない

⑶私の個人主義

最近読んだ本ばかりなのが我ながら情け無いです。 これから愛読書作ります。

 

付き合うのは二人でいると楽しいからだ。快楽を最大化するためだ。

結婚するのはどちらかが病める時や貧しい時、その不幸を最小化するためだろう。

 病める時、貧しい時、自分は今のパートナーに寄り添い、その不幸を最小化できるか。パートナーは自分に寄り添い、その不幸を最小化するために動いてくれるか。

僕は、面白い人間ではないと思っています。快楽を最大化することが付き合うことの目的であるとすれば、僕は中々女性と付き合うことはできないでしょう。僕がいることで快楽が最大化する女性は少ないように思います。勿論、努力が足りていないことは十分に承知しています。

それでも、たまにですが、僕にも異性に人気の出る時期があります。

これは、自分で言うのもなんですが、女性側の不幸を最小化できるオーラが出ているからではないかと思います。簡単に言えば、「余裕がある」っぽいということです。

あと、僕は冬にモテることが多いです。

思うに、夏は集団で遊べるイベントが多く、出会いも遊びの場も豊富です。そんな時期には僕みたいな陰キャよりもウェイウェイサークル勢みたいなのに惹かれるものかと思います。僕でもそうします。

一方、冬というのは集団で何かをするイベントよりも、1対1の関係で楽しむイベントが夏に比べて多いように思います。人肌恋しさもあるでしょう。「既存のコミュニティだと夏は楽しいけど冬一緒に越せそうな人いないなー」なーんて思っている時に、ニットとか着て似非余裕オーラを醸し出す男性が現れるとひょっとしてしまうことがあるのかもしれないです。

結局、何かが起きる前に関係を終わらせてしまうんですけどね。非モテですよ。

 

結婚する意味という言葉は、ともすれば暴力的な響きをもつ。意味だなんて言葉を人間関係に使うなんて、おかしい。そこには、意味やメリットなんてなくてもいい。むしろ、意味がないからこそ、メリットがないからこそ、二人の関係は、恐ろしい強度を獲得し得るのだ。

確かに、意味を考える結婚というのは嫌です。でも、意味を考えずに決められるほど、自分には結婚が軽いものであるとは思えません。

ただ、彼女に経済的に独立する意思があるかどうか、は気にしています。

なぜなら、経済的に独立できる女性でなかった場合、経済面での依存が結婚の意義になってしまいかねないからです。

個人的には、お互いが経済的に独立した上で、それでも結婚という選択をする方が、ある意味「意味・メリットがない」ことだと思っています

ただこれも、自信が無いからこそ思ってしまうことなのかもしれません。

自信が無いとは、主に以下の2点についてのことです。

⑴経済的なメリットを自分が提供できなくなることがあるのではないか

⑵その際、経済的メリット以外に自分がパートナーを留めておけるかどうか

まあ、お互い自立したペアを今形成できているのは、⑵の心配をしなくていいということなんでしょうか。

 

でも、一方で子供をしっかり育てて欲しいとかいう思いもあるから自分勝手です。

ある意味、夫が稼いで妻が育てるという構図は楽ですよね。分業体制は楽です。

今後は二人で子供の未来を作っていくくらいの気持ちは必要ですよね。夫婦ともに、仕事と家事の両方に生産性の向上が求められます。

 

コミュニケーションの本質は、期待しないことにある

本当にその通りだと思います。相手の理解力に期待するな。何度でも、どんな手段を使っても、伝えようとしろ。それこそ、コミュニケーションの本質です。

 

以上で「いつか別れる。でもそれは今日ではない」の連載を終えようと思うのですが、

なんだか最後の方は自分の話ばかりになってしまいました。

そして、文体が著者のFさんに似てきてしまったことが我ながら気持ちが悪いです。

 

カラスの鳴き声と雨の音