人生なんて、もんじゃみたいなもんじゃ

もんじゃ焼きのような人生に対してのぼやき

「いつか別れる。でもそれは今日ではない」を読んだ男子大学生の所感(3)

第3回です。

今回から、第2章の「優等生の皆様、不良の皆様」に入ります。

引き続き、気になるフレーズを引用しつつ未熟な僕の心を綴っていきたいと思います。

コメント等、依然としてお待ちしております。

 今回は、恋愛に限らず人間関係についての話題が多くなりそうです。

 

私の思う、友達の定義とはこうだ。
自分の思っていることも感じたことも、分かりやすく話す必要もなく、オチをつけたりする必要もなく、面白おかしく話す必要もないままに、ただまっすぐに話していいと思える人。そして相手もまた、そのストレートさで返してくれる人。これを電話でやるのも失礼だと思える人。

中々厳しいですね。自分は「相手のことを思って、きついことを言い合える仲」とかかなと思っていました。

筆者のこの定義、一見「心を許し切った相手」というようにも思えます。しかし、難しいのは最後の一文に筆者なりの礼儀が入っていることです。ゆえに「慣れ」とはまた別なんでしょう。
自分にはこの感覚はありません。話の内容によりますが、その形式にはあまりこだわった事はありませんでした。

電話でやるのも失礼だと思えるほど、友人と意見を戦わせていないのかもしれません。

 

余談ですが、自分はかなりの聞き上手だとよく言われます。自負もしています。

こういう特性がついたのは、自分の話で相手を気持ち良くさせるより、相手の話を聞きそれに対する反応で気持ち良くさせる方が楽だと考えているからです。

聞いてくれるなら勿論答えます。それは基本的には聞いてくる以上、相手を気持ち良くさせるハードルが下がっているからです。

でも、曖昧な返事をすることが多いかもしれません。それは、気分によって答えたいことも変わるし、答えたい確固たる自分があるわけでもないからです。

自分を話す側にさせてくれる友人も多少なりともいます。大事にしたいです。

 

さて。

ここからは、本書の「人間関係に失敗するコツ20」から自分が気になった5つのコツを抜粋して、自分と照らし合わせながらコメントしていきたいと思います。

 

「人間関係に失敗するコツ5」

①黙っていたら伝わると思う。

自分はこれ思いがちです。正直に相手に気持ちを伝えるのは苦手ですね。嫌われるの怖いので。

それでミスしたこと、何度もあります。

 

②最悪な状況で、ジョークを交わすことを忘れる。

これは難しいですね。

「最悪な状況」になってジョークを交わしたら、より「最悪な状況」になりませんか?(笑)

ジョークを交わせる「最悪な状況」って、まだ「最悪」ではない気がします。

 

③言葉にしすぎる、もしくは言葉にしなさすぎる

どちらも苦手ですね。ちょうどいいバランスを把握していないんですよ。

組織に所属するメリットって、ここにあると思います。色んな人との関わりの中で、そのバランスを少しずつ体得できること。自分は、大学四年間あまりちゃんと組織に所属してこなかったので、ここは苦労してます。

 

④いつか返ってくると思って人に親切を施す

基本的に皆さんそう思ってるんじゃないんですか?(笑)

他者貢献により存在意義を確認するっていうアドラー的な考え方もありますが。

 

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

でも、見返りを求めようとしていることが見え見えの人は確かに苦手です。

ちなみに、筆者は「嫌われるの勇気を持つ」ことも人間関係に失敗するコツとして挙げています(笑)

 

⑤上手に甘えられない

これはもう本当に下手ですねえ。だから、④をやりたくなるのです。

弱みをさらけ出していくと甘えやすくなるような気はしているのですが、それはプライドの高い普段の僕が許しません。我ながら子供ですよ本当。

 

以上が「人間関係に失敗するコツ20」から抜粋した「人間関係に失敗するコツ5」でした。

本編に戻ります。

 

喧嘩は、互いの面倒くささを徹底的に想定、容認、あるいは排除することで避けられるものだ。それはつまり、家事も炊事も「得意な方が好きなだけやる」とし「どっちかが気づかなかったことはどちらかがさらりとやってしまう」のである。根底に、「苦手なことをやって不機嫌そうにしているのはダサい」というポリシーを一貫させることで、ご機嫌に暮らす。それだけである。

なるほど。でも、家事においては互いにやりたくないこと絶対ありますよね。

そこは、お互いに想定、容認、排除することで避けるということなのでしょうか。

 

好きなものを好きだと言い続けないと、好きな人は寄ってこない。そして嫌いなものを嫌いだと言わないと、嫌いな人は離れていかない。

自分は、何が好きなんだろう。寄ってくる人が欲しい程に好きなものがどれだけあるだろう。

正直、音楽だけかもしれない。特にロック分野。

でも、ロック好きな人と共感したい想いは、何かお互いに好きなアーティストを勧めあったりすることではなく、「同じように曲を楽しめること」、「曲を元に新しい何かを楽しめること」だ。

例えば、曲の好きなポイントを語り合えたり、お互いに知っている曲の歌詞が共に過ごしている日常に当てはまった際にポッとそれを共有できたり。そういうことがしたい。

あと、知識のある人、面白い考えを持っている人には寄ってきてもらいたい。

知識は、学術的な分野であればなんでもいい。考えは、本当になんでもいい。

僕に無いもの持ってる人大好きです。

いまぱっと思いついたのはこの二つか。なんか、他にも好きなことがあるのに寄ってきてもらいたいと思うほどでは無かったことが少し残念です。

 

中途半端にずる賢くてセコい奴が、いつまでもどこにも行けないのだ。どうしたらちゃんと生きていけるだろう。私は、こうすることにした。永久に語られることのないものだけを見つけ、それをたった一人で愛する。

「永久に語られることのないもの」とは、世に出回らないものをいう。

自分より高い能力、自分が保有しているものより良いものは、すでに世の中に出回り過ぎている。

であれば、世に出回っていない部分を愛そうではないか。撮られたものより撮られなかったものを、優れた人の優れていない部分を・・・。

筆者の意見は、こういうことです。

 

それは、妄想ではないのでしょうか。

本当にその「語られることのないもの」だけを愛することができるのでしょうか。

世に出回る事実に向き合うことは(勿論メディアのバイアス等を見極めた上でではあるが)、「ちゃんと生きていく」ために必要ではないのでしょうか。

恐らく、筆者の思う「ちゃんと生きる」の定義が違うのでしょう。「本を読む本」という本に言う「筆者が使う用語の意味とのすり合わせ」とはこういうことなのかもしれません。

 

本を読む本 (講談社学術文庫)

本を読む本 (講談社学術文庫)

 

最初はこのフレーズ(「永久に語られないものを愛する」)にも共感していたのですが、少し時間を空けてまた読むと感覚が違ってくるものです。

3年後、いや1年後にこの記事を見返したら、「この時の俺若いなあ」と思えるように成長したいところですよ。

今日はこの辺で。

 

RADWIMPS -トアルアルノヒ–