人生なんて、もんじゃみたいなもんじゃ

もんじゃ焼きのような人生に対してのぼやき

「いつか別れる。でもそれは今日ではない 」を読んだ男子大学生の所感 ⑴

「いつか別れる。でもそれは今日ではない」という本を、久しぶりにフラッと立ち寄った本屋の店頭で見かけて、衝動買いしました。

 

いつか別れる。でもそれは今日ではない

いつか別れる。でもそれは今日ではない

 

我ながら気持ち悪い男子大学生ですね。

初心者マークつけたレジの女性店員さん、本のタイトル見た時に一瞬フリーズしてました。

 

最近、今更ながら自分恋愛できないんじゃないかって思い始めたので、それに対して何かしらの視点を求めていたんですよね。

本に書き込むよりブログで書いていく方が、思考がしやすくなるように思えてきた今日この頃です。気になるフレーズを引用しつつ、未熟な僕の心を綴っていきたいと思います。コメント等、いつも以上にお待ちしております。

 

第1章は、「恋愛講座、もしくは反恋愛講座」です。こういった、反対語を多用する方です。早速、見ていきましょう。

 

解散を祝えないファンは、真のファンでないことくらい知っている。思ったのと違う、と思うのは愛ではないだろう。こうあって欲しいと思うのも、愛ではない。

だとすれば、残念ながら僕は愛を知らないです。

東京事変が解散した時、僕は悲しかったですよ。かっこいいなとは思いましたけどね。

彼女に対しても、こうあって欲しいを求めがちです。子供なのでね。

無理はしないで欲しいと思います。でもそれは、愛というよりは、自分の中途半端な「優しさ」。

求めがちなのに、求めることは相手を傷つけることになりそうだと。

そうやって自分の意見を言わないまま、少しずつ自分の中での彼女への要求が蓄積し、冷めていく。

どうしてこうも人を愛せないのでしょう。自分が悲しいですよ。

 

そうだ。論理的に説明できないから好きになった。あらゆる言葉や修辞ではもはや取り繕えないから好きになった。もはや誰かに説明する必要さえ感じないし、そうすることも不可能だと思えるほど、途方もなく孤独にさせられたから好きになった。一体全体、理由がわからないから、好きなのだ。

僕は、好きになった理由を毎回明確にしているように思います。ゆえに、代替可能だと言われても仕方がありません。求める要素が多い分、”代替可能らしさ”は隠れていますが。

論理的に説明できない好きってなんなんでしょう。そんなことってあるのでしょうか。未熟な僕にはまだ分かりません。

 

そもそも、もっと顔が良い人はいくらでもいた、もっと優しい人は、いくらでもいた。もっと頭の良い人も。もっとお金もちの人もいたのだ。それでも、その人の欠点が故に、その人を好きにならずにはいられなかった事実。・・・長所で好きになり、欠点で愛する。見返りを求めない。特別な理由もない。これが王道の愛し方というものだ。

自分は、欠点を愛することができただろうか。

相手は、僕の欠点を愛してくれた。自分が思う相手の欠点は、愛せなかった。

自分には、寛容さが足りないのです。

 

書きながら思ったのですが、生活における恋愛の比重が高いことがいけないのかもしれません。

今は本当にプー太郎同然の生活を送っているものですから、やることと言ったら読書、ネットサーフィン、友人との飲みくらいのものです。ここに生活のメイン足りうる”恋愛”が入ってくるのですから、求めたくなる気持ちが大きくなるのも当然かもしれませんね。

新しく、何かハマれるものを見つけたり、大きく時間を使える何かを見つければ、気になってしまう欠点も相対的に小さくなっていくのかもしれません。

ただ、それは「小さくなった」に過ぎず、「欠点を愛すること」ではありませんね。難しいですね。

「小さくなる」ことで、見過ごせるレベルになっていくのでしょうか。欠点の内容にもよるので一概には言えないですね。

 

まずは簡単に人を「好き」になった、その「好き」を自己検証した方がいい。自分の「好き」のハードルを、自転車のサドルの高さを調整するように、正確に設定する。相手のなにかをどうしても変えたいなら、それを冷静に話し合えるか。あるいは冷静に話し合える言葉や距離感覚、その余裕を互いが持っているか。その度量はあるか。知性はあるか。経験はあるか。経験はなくても、優しさは、愛はあるのか。
そんな徹底的な自己検証が、誰かを愛する準備のすべてだと思う。

自分の好きのハードルはどこにあるんでしょう。なんとなくいつも考えている「好きのハードル」は二つあります。

一つは、「この人と一緒にいたい。色々な体験を共有したい」と思えること。ただこれ、やっぱり打算的なんですよ。結局自分の体験の効用の最大化しか考えられていません。

二つ目は、「この人の喜ぶ顔が見たい。色んなところに連れていってあげたい」と思えること。

これも上から目線ですね。自分より世界を知っている人を楽しませる自信がないのでしょう。

そういう人達を好きになり、愚直に愛を表現することで付き合い始める方もいますね。尊敬です。

三つ目は、「一緒に何もない日常でも楽しめること」。これも面倒臭がりな性格が見え隠れします。自分で言ってて辛くなります。要するに、デートプラン考えるのが面倒になっても、どんな状況でも楽しめる、ってことですよね。今、気持ち的にネガティブなのでどれも悪い方向に考えがちです。

そう考えると、友人の言っていた「好きになった人がタイプ」というのは、深みのある言葉ですね。

そんな定義づけなんかできないと。気付いたら好きになっていたと。

今度から「好きになった人がタイプ」って言える人がタイプって言おうかな(笑)

 

キリもいいので、今日はこの辺で。

 

椎名林檎 ー望遠鏡の外の景色ー