人生なんて、もんじゃみたいなもんじゃ

もんじゃ焼きのような人生に対してのぼやき

芸術に造詣のない僕が思う、一瞬の綺麗さと、永久の綺麗さ

今年の呉花火のポスター、ご覧になりましたか。

キャッチコピーの秀逸さと、哀愁を感じさせるイラストで多くの反響を呼んでいるようですね。

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奥手かて。ブーメランです。

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これは、「とかとか」という文言から妄想だと考えて良いのでしょうか(笑)

ブランコに乗りながら、お相手の姿も描かれていませんし。

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自分にも思いつくとは決して言えませんが、こういうフレーズはしばしば見ますね。

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個人的にはこのポスターが好きです。ポケットに手を突っ込んでいるところがよく感情を表していると思います。

 

ポスターの評価はさておき(笑)、こういった一枚の紙が10万人以上の心に届き、感情を動かしていること、素敵だと思います。

みなさんは一瞬の美と、永久の美、どちらが好みですか?

最初、どちらが好みですか、ではなくどちらが素敵ですか、と書こうとしてやめました。「美」という点で共通していますが、両者は似て非なるものです。まして、具体的な作品も提示せず、概念として両者の素敵さを比べることって、ナンセンスですよね。

さて、好みという点に関しては大いに自分の意見を主張していきましょう(笑)

私に関して言えば、残る方が好きです。

記録が残る記録系のスポーツ、写真、建物、絵など。  

一瞬の美の、風化してしまう感じが苦手なんです。

記憶は、どう頑張っても風化していきます。そして、曖昧になった部分は自分で都合よく記憶を書き換えます。

形が残るものは、その”書き換え”が起こりづらいと思っています。そこに行けば、その物が存在するのですから。

もちろん、写真は構図やタイミングによってその最も良い場面を切り取ることができてしまうため、その当時そのままの情景がそのまま残るものであるとは考えていませんが、いくら構図を変えてもそのレンズの先にその被写体が望みの構図で存在していたことには変わりません。

それを残すことは、記憶の書き換えにはあたらないと思っています。

とは言え、一瞬の美というものも素敵ですよね。花火のように、一度きりの儚さがあるからこそ記憶に残るというものも当然あるかと思います。

 

自分としては、今後形が残る美を生み出せるようにしたいところですね。

絵、曲、建物、写真など……。

残りの大学生活で、少しずつ手を出してみたいと思います。

 

無音