人生なんて、もんじゃみたいなもんじゃ

もんじゃ焼きのような人生に対してのぼやき

素敵な夫婦って何

素敵な夫婦・ペアってなんでしょう。

今、とあるカフェでこれを書いているんですが、そもそもこれを書こうと思ったのは隣のご夫婦のお話を聞いていてのことでして。

話、止まらないですねお二人。お二人とも50前後ってところでしょうか。
地元の交通事情の在り方から、旦那様の誕生日に何が欲しいかの話、そして娘の受験とその未来の話について、、、、
素直に素敵だなって思いました。そもそもうちの両親はカフェで談笑なんてことしていないので、素敵な文化だなと。

まあ、そもそも家に自分がいないことも多いので、その時に家で色々と話しているのだと思いますが。

 

なんていうんでしょう。他愛もない話もしているんですよね。

というより、それがほとんどかもしれません。

でもそんな会話を愛おしく思えているように自分は感じました。素敵なことですよね。

 

自分のダメなところは、中途半端な成長思考から、意味のある会話を求めがちだということです。

「思考の整理学」という外山滋比古さんの本に書いてあった、以下の文が良くも悪くも頭に残っていて。

俗世を離れた地的会話とは、まず身近な人の名を引っ張り出さないこと。共通の友人の名前が出ると、どうしても会話がゴシップに終わる。ゴシップは害あって益なし。

 

思考の整理学 (ちくま文庫)

思考の整理学 (ちくま文庫)

 

 実際は、その”ゴシップネタ”が展開された時に、次元や視点を変えて考えればゴシップから離れることはできると思っています。

「え、じゃあその時自分だったらどうする?」とか、

「そういう人ってどうしたらそういう性格治るんだろう。」とか。

実際は、ゴシップネタを展開されている時の空気にもよって、こういう発言はしづらくなる可能性はあります。特にグループの場合は。みんなでその人を叩くのが会話として楽しくなっているということも残念ながらあります。

 

そもそも、意味ある会話にしか楽しみを覚えられないこと自体が、人としての楽しみを制限しているようにも思えます。ここから直す必要もあると思います。

そして、仮に意味のない会話だなあと思っても、周りの雰囲気を見つつ意味のある会話にもっていくくらいのコミュ力はつけないと社会でやっていけないですよね。

 

話が脱線しました。素敵な夫婦、ですよね。今ぱっと思いつく自分なりの”素敵な夫婦”は、

  1. お互いを尊重し、歩み寄りの姿勢を持つこと(妥協や諦めではない)
  2. 無理せず、その時その時を楽しめること。
  3. 新しいことや違いを許容し、その上で楽しめること。

ぱっと思いついたのは、こんなところでした。

 

今の僕は、こんな理想に値する男でしょうか。

なかなか大人になれない僕は、大学4年間過ごせばだんだん大人になっていくんだと思っていました。

自分は結構色んなことから逃げてきた部分があります。

結果として、就職先も自分にしてはとても納得感のあるところに行けてしまったのは、嬉しい反面、これで良いのかという思いもあります。贅沢な悩みですよね。

心配しなくてもちゃんと社会に出れば嫌でも叩きのめされることは承知してるんですけどね。

 

こっから半年間、どうしましょう。就職活動が終わってすぐは10ヶ月間あったと思っていた最後の夏休みが、8ヶ月まで減っています。

人としての幅を広げて、「他愛はない、けどそこに愛はある」そんな話ができる人生でありたい。

そんなお父さん・主人でいたい。

 

今日はこの辺で。

 

素敵な夫婦 ーカフェでの、他愛もないお話ー