人生なんて、もんじゃみたいなもんじゃ

もんじゃ焼きのような人生に対してのぼやき

芸術に造詣のない僕が思う、一瞬の綺麗さと、永久の綺麗さ

今年の呉花火のポスター、ご覧になりましたか。

キャッチコピーの秀逸さと、哀愁を感じさせるイラストで多くの反響を呼んでいるようですね。

f:id:monja123:20170801013755j:image

奥手かて。ブーメランです。

f:id:monja123:20170801013817j:image

これは、「とかとか」という文言から妄想だと考えて良いのでしょうか(笑)

ブランコに乗りながら、お相手の姿も描かれていませんし。

f:id:monja123:20170801013824j:image

自分にも思いつくとは決して言えませんが、こういうフレーズはしばしば見ますね。

f:id:monja123:20170801013808j:image

個人的にはこのポスターが好きです。ポケットに手を突っ込んでいるところがよく感情を表していると思います。

 

ポスターの評価はさておき(笑)、こういった一枚の紙が10万人以上の心に届き、感情を動かしていること、素敵だと思います。

みなさんは一瞬の美と、永久の美、どちらが好みですか?

最初、どちらが好みですか、ではなくどちらが素敵ですか、と書こうとしてやめました。「美」という点で共通していますが、両者は似て非なるものです。まして、具体的な作品も提示せず、概念として両者の素敵さを比べることって、ナンセンスですよね。

さて、好みという点に関しては大いに自分の意見を主張していきましょう(笑)

私に関して言えば、残る方が好きです。

記録が残る記録系のスポーツ、写真、建物、絵など。  

一瞬の美の、風化してしまう感じが苦手なんです。

記憶は、どう頑張っても風化していきます。そして、曖昧になった部分は自分で都合よく記憶を書き換えます。

形が残るものは、その”書き換え”が起こりづらいと思っています。そこに行けば、その物が存在するのですから。

もちろん、写真は構図やタイミングによってその最も良い場面を切り取ることができてしまうため、その当時そのままの情景がそのまま残るものであるとは考えていませんが、いくら構図を変えてもそのレンズの先にその被写体が望みの構図で存在していたことには変わりません。

それを残すことは、記憶の書き換えにはあたらないと思っています。

とは言え、一瞬の美というものも素敵ですよね。花火のように、一度きりの儚さがあるからこそ記憶に残るというものも当然あるかと思います。

 

自分としては、今後形が残る美を生み出せるようにしたいところですね。

絵、曲、建物、写真など……。

残りの大学生活で、少しずつ手を出してみたいと思います。

 

無音

 

中学受験って本当に必要?

最近少し「自分の決断」というテーマで悩んでいて、僕の最初の決断?である中学受験を思い出したのでこれについて書きたいと思います。

僕は、小学校4年生頃からじわじわと中学受験に向けた勉強をさせられていました。

祖父が、自身が通っていた中高一貫校を大変誇りに思っていたようで、
是非自分にも受験してもらいたいと思っていたみたいなんですね。
そこそこの進学校なので、古い考えをもつ学歴主義の父も賛同しました。
それに従って、母も僕を教育しようとしてくれました。
これに対し、当時の僕はこう思っていました。
「なぜ勉強しなくてはいけないの?」
全く分かりませんでした。一度その学校を見学しに行った時、確かに綺麗だなーとかは思っていましたがそれ以上の感情は湧いてきませんでした。むしろ、なぜ小学校時代に仲良くなった友人とわざわざ別れなくてはならないのか、全く意味がわかりませんでした。

母は、良くも悪くもその学校に入ることについての必要性をあまり説いてはいませんでした(多分)。
どこかでは、母も受験する気がない息子を受験させるほどの気力はなかったのでしょう。
目的が不明確なことにはとことん頑張れないのが僕でした。今思えば、ここでこの性格もできてきていたのかもしれません。
そして、私は母親にこう言いました。

「なんでわざわざ友達と離れなくちゃいけないの?」

我ながら、当時の純粋な気持ちが見えますね。その言葉を聞いた瞬間、母親は僕に対する指導をやめました。
後日、「そんな気持ちならやめちまえ!」との言葉を父にかけられました。
負けん気の強い男の子ならここでカチンときて奮起するのでしょうが、自分にはそういう性格は無かったものですから、当然のようにやめてしまいました(笑)
そして、今まで通り友人とウイイレスマブラをする日々に戻ったんですね。

個人的には、子供自体に受験したいという強烈な想いが無いと、中学受験のモチベーションを保たせるのは難しいように思えます。特に僕みたいに先のことを考えられない頭の悪い子供に対しては、先のメリットを見据えて努力させるの難しいですよ。

それでも、自分がもし親になることができ、子供に受験させたい時は以下のように仕向けるなーなんて考えてます。場合分けをして検討していきます。

⒈ 学校生活が上手くいっていない場合

これはもう簡単ですね。自分の子供がそうなっていたら少し辛いですが。あいつらと同じ中学に行きたくないよねと、新しい友達作っていこうと。そういった言葉をかけて進めていきます。いじめまでいかなくとも、あまり友人関係で上手くやれてなさそうであればこのアプローチですね

⒉ その他の場合

①立地で釣る

小学生くらいでも原宿とか憧れたりしませんでしたか?この辺の立地を武器にして頑張らせます。

遊び呆けるというリスクはありますが、地元の中学に行かせてもあんまり良い遊びはどうせしませんよね(笑)。危ないエリアとかさえ行かせなければ、遊びに慣れておくことも悪いことではありません。

②友人で釣る

自分の子供と仲の良い友人が受験する情報を保護者会等で察知すれば、あとは「〇〇君もやっているよ。」戦法ですよね。好きな子が塾に行っているとかならもっと頑張れるんですけどね。

③もので釣る
物に頼らないと頑張れない子供に育ってしまいがちなのでオススメしづらいですが、最後の手段ですね。

  少し話は逸れますが、”もので釣る”という勉強のさせ方は、動機付けとしては良いと思います。勉強が嫌になる理由は「内容が理解できないこと」に他なりません。ある程度なアメを与えて勉強が出来る子になれば、周りに勉強が出来る子が多い環境に身を置くことができるため、その後は自然に勉強する子供に育つと思います。ただし、もので釣る際には、結果に対して物を与えるのではなく、努力に対し物を与えましょう。「〇〇点を取る」という結果を求めた場合、子供はその結果達成のためにどういったアプローチを取れば良いのかが分からず、適切な努力ができません。むしろ、計算ドリルを2周するとか、努力に対してご褒美をあげるようにすることです。このようにして、結果達成のための努力の仕方を把握していった後は、結果に対してのご褒美をあげるようにしても良いでしょう。

この辺りは中室牧子さんの”「学力」の経済学”という本に詳細が述べられていますので良かったらご覧になってみてください。

 

「学力」の経済学

「学力」の経済学

 

 

少し話は逸れましたが、アプローチとしてはこんなところですかね。

ただ総じて思うのは、中学は地元でもそれほど悪くはないぞということです。

自分が行った中学が、相対的に見てどのレベルの荒れ具合だったかは分かりませんが(学年の5%が不登校という感じ)、通って後悔しているかというと全くそんなことはなくて、なんだかんだ良い友達がたくさんできたなという印象です。

一応メリットをまとめとくと、

⑴色んな背景の友人と仲良くなれる

⑵成人式が楽しい

⑶大学生になっても、大人になっても、「ちょっと今から飲まね?」と言える仲間ができる

こんなところでしょうね。詳細は言うまでもないでしょう。

特に⑶は大きいなあと思いますよ。自分は本当にこれで助けられました。

あと、高校から入れる学校も良いところいっぱいありますしね。

とは言え、受験させるのもありだなと思っているから方法論とか考えてしまっているんですよね。

受験してたら今頃どうなってただろうな、とは思いますね。

自分は割と運良くここまで進路が決まってしまった部分があり、良くも悪くも受験等の困難、そして挫折を経験していないのです。これについても、また他の回で考えを書いてみたいですね。

 

とりあえず、本当に中学受験が絶対必要なのか、そんな悩みを抱えている方の助けに少しでもなれば嬉しいです。

では、今日はこの辺で。

 

Capsule -white as snow- 

素敵な夫婦って何

素敵な夫婦・ペアってなんでしょう。

今、とあるカフェでこれを書いているんですが、そもそもこれを書こうと思ったのは隣のご夫婦のお話を聞いていてのことでして。

話、止まらないですねお二人。お二人とも50前後ってところでしょうか。
地元の交通事情の在り方から、旦那様の誕生日に何が欲しいかの話、そして娘の受験とその未来の話について、、、、
素直に素敵だなって思いました。そもそもうちの両親はカフェで談笑なんてことしていないので、素敵な文化だなと。

まあ、そもそも家に自分がいないことも多いので、その時に家で色々と話しているのだと思いますが。

 

なんていうんでしょう。他愛もない話もしているんですよね。

というより、それがほとんどかもしれません。

でもそんな会話を愛おしく思えているように自分は感じました。素敵なことですよね。

 

自分のダメなところは、中途半端な成長思考から、意味のある会話を求めがちだということです。

「思考の整理学」という外山滋比古さんの本に書いてあった、以下の文が良くも悪くも頭に残っていて。

俗世を離れた地的会話とは、まず身近な人の名を引っ張り出さないこと。共通の友人の名前が出ると、どうしても会話がゴシップに終わる。ゴシップは害あって益なし。

 

思考の整理学 (ちくま文庫)

思考の整理学 (ちくま文庫)

 

 実際は、その”ゴシップネタ”が展開された時に、次元や視点を変えて考えればゴシップから離れることはできると思っています。

「え、じゃあその時自分だったらどうする?」とか、

「そういう人ってどうしたらそういう性格治るんだろう。」とか。

実際は、ゴシップネタを展開されている時の空気にもよって、こういう発言はしづらくなる可能性はあります。特にグループの場合は。みんなでその人を叩くのが会話として楽しくなっているということも残念ながらあります。

 

そもそも、意味ある会話にしか楽しみを覚えられないこと自体が、人としての楽しみを制限しているようにも思えます。ここから直す必要もあると思います。

そして、仮に意味のない会話だなあと思っても、周りの雰囲気を見つつ意味のある会話にもっていくくらいのコミュ力はつけないと社会でやっていけないですよね。

 

話が脱線しました。素敵な夫婦、ですよね。今ぱっと思いつく自分なりの”素敵な夫婦”は、

  1. お互いを尊重し、歩み寄りの姿勢を持つこと(妥協や諦めではない)
  2. 無理せず、その時その時を楽しめること。
  3. 新しいことや違いを許容し、その上で楽しめること。

ぱっと思いついたのは、こんなところでした。

 

今の僕は、こんな理想に値する男でしょうか。

なかなか大人になれない僕は、大学4年間過ごせばだんだん大人になっていくんだと思っていました。

自分は結構色んなことから逃げてきた部分があります。

結果として、就職先も自分にしてはとても納得感のあるところに行けてしまったのは、嬉しい反面、これで良いのかという思いもあります。贅沢な悩みですよね。

心配しなくてもちゃんと社会に出れば嫌でも叩きのめされることは承知してるんですけどね。

 

こっから半年間、どうしましょう。就職活動が終わってすぐは10ヶ月間あったと思っていた最後の夏休みが、8ヶ月まで減っています。

人としての幅を広げて、「他愛はない、けどそこに愛はある」そんな話ができる人生でありたい。

そんなお父さん・主人でいたい。

 

今日はこの辺で。

 

素敵な夫婦 ーカフェでの、他愛もないお話ー

大学卒業前に思う、死ぬまでにやりたい100のこと

この記事を書こうと思ったのは、

 

オープンカーの助手席に彼女を乗せて、

大音量でmaroon5の『suger』をかけながら

東京から湘南にかけてドライブ

 

というのを死ぬまでにやりたい、と思ったからだ。

洋画の見過ぎである。

このようなありふれたシーンにinspireされてしまうところが我ながらダサい。

 

しかし、こんな思いつきで書いた死ぬまでにやりたい100のことなど、

最後は惰性で埋めて行くのが目に見えているので、

今日はひとまずいけるとこまでいこうと思う。

 

1 オープンカーの助手席に彼女を乗せて、大音量でmaroon5の『suger』をかけながら東京から湘南にかけてドライブ

サカナクションのライブでmusicを聴いて踊る

ギリシャサントリーニ島へ行く

ニューオリンズでジャズを聴きながら一日過ごす

5 世界一周クルーズで旅する

6 ウユニ塩湖で天国感溢れる写真を撮る

飛田新地で遊び尽くす

8 タージマハルを見る

9 バンドを組み、観客の前で演奏

10 キューバでモヒート飲みながら陽気にブラブラする。

11 ラプソディーインブルーをコンサートで聴く

12 宇宙に行く

13 岡本太郎記念館に行く

14 三日間くらいホームレスをやる

15 激ロックにいく

16 花田優一さんに靴を作ってもらう

17 人生のパートナーたる時計を見つける

18 オーシャンビューの温泉に彼女と入る

19 すだち酒でかんぱーい

 

ひとまずこの辺で。視野が狭いなああ

 

wonderforniaーストレイテナー

 

 

 

 

 

 

 

 

ブログ向いていない説

お久しぶりです。1ヶ月ぶりの投稿でしょうか。

はてなブログが御親切に前回の更新から1ヶ月経過していることを教えてくれました。

地元が豪雨ということで、家でのそのそブログを書きたくなりました。

(他にもやらなくてはならないことはありますが、、、)

 

この1ヶ月、色々とありました。

1番大きかったのは体調を崩したことでしょうか。

なんだかんだ半年くらい風邪を引いていなかったので

そろそろ来るかなーと思っていた矢先に、

慣れないことを立て続けに一週間くらいやった結果、完璧にやられました。

 

教訓としては

 

・生ぬるいビールはほんっとにダメ。

・知らない人に出会える、季節ならではのイベントは悪くない

 

ということでしょうか。

 

寝込むと本をたくさん読めるのが良いですね。

くだらない本ばかりですが、今度またご紹介しようと思います。

 

とは言え、体調以外は最近「非常に良い調子」で回っています。

1番大きな要因は、”自信がついたこと”だと思います。

 

自信がつくと、

・自分から人に話しかけやすくなる

・自分のことを話しやすくなる

・自信のある顔をしているおかげで、人がよりつきやすい。

 

というメリットばかりです。

社会人になったら、きっと自信を無くすような日々が続くことでしょう。

変に自信があるのも考えものでしょうが、どうやって自信を保っていけば良いんでしょうね。

 

いま、パッと思いつくところでは、

・筋トレ

・自分の中の小さな成功体験を褒める

・仕事以外にブレない何かをもつ(趣味や特技など)

 

ということが思い浮かびました。

「自信」というテーマについても、後々記事を書きたいですね。

久しぶりなのでこの辺にしておきますかね。

 

Lalaland -planetarium-

 

twitter,facebookが苦手な自分がブログを始めた3つの理由

僕はTwitterFacebookが苦手です。

 

一応、アカウントはありますが、twitterは情報収集の為に、facebookは”緩い繋がり”を維持するために使っています。

 

自分は、上記SNSで社交辞令的に誕生日を祝ったりするのが苦手なので、

果たして”緩い繋がり”すら維持できているのかは甚だ疑問ですが。

 

正確に言うと、

①自分のこと、自分の考えていることを

②知人に対して発信すること

が嫌なのだと思う。

 

なぜか。

 

発言に自信がないからである。

自分の無知、無能、センスの欠如を晒したくない。

 

もちろん、友人などをフォローしないtwitterアカウントを開設してきままに呟くというやり方もあるかもしれないけど、そもそも140字という限られた文字数で発信したい内容もそれほど多くない。

 

では、そんな僕がなぜブログを始めたのか。   

 

⒈自分の意見をまとめておく場が欲しい

もんじゃみたいな人生でも、色々と過ごしていれば何かしら毎日思うことがあります。しかし、それらは概してすぐ忘れてしまう。

そういった思いを、ある程度まとまった形で残しておく形として、自分はブログが最適だと思いました。

 

ここに至るまでの過程も一応以下に記しておきます。

⑴紙かデジタルか

紙のメリットとしては、以下のものが挙げられるように思う。

  • 字が上手くなる
  • サッと書ける(ネットのように、立ち上げ不要)

一方、パッと思いつくデメリットは以下の通り。

  • 紛失リスク
  • 見られるリスク
  • 検索かけられない

デジタルのメリデメは基本的には上記メリデメの裏返しですが、スマホやパソコン等色んな媒体から書けるという点がデジタルの大きな魅力。 トイレでも書けます。

今時は、手書きで書いたブログや日記を、ネットに保存するやり方もあるとかですが、自分はそんなにマメでもないのでやはりデジタルでした。

 

 ⑵公開か非公開か

これは、本当に好みかな、とも思う。

自分的には、chikilinさんが仰っていたように「ブログという形で、自分の考えを市場に晒す」(確かこんな感じ)ということをしてみたかったので、公開にしてみました。ブログだったか、『マーケット感覚を身につけよう』だったかな。

 

www.amazon.co.jp

あと、自分がつらつら書くことは、正直多くの人が感じていることだとも思うので、共感してくれたら嬉しいなという思いもあります。

 

⒉自分の考えに対して意見を頂きたいから。

SNSでの発信が苦手なのは、発信先が知人友人だから。

考えって、最終的には発信してなんぼだと思う。自分の中で考えられることにはすぐ限界が来ると思っている。

どんな意見でも良い。

自分が考えたことに対する意見が、社会や市場にとって、どう捉えられるのか。

なんて言うと大袈裟だが、そういったことが手っ取り早く試せるのはブログではないかと。

 

そういう意見を、何の抵抗もなく話し合える友人を作れって?

 仰る通りですね。

 でも、やっぱり自分の行動範囲で出会える友人て、結構似ていると思うんですよね。思想レベルも、内容も。

そこでの議論も悪くはないですが...うーん。

その点、ネット上という開かれた環境には、本当に多様な人がいる。

普段自分があまり出会わない層・考えの人たちから意見を頂けたら、この上なく幸せです。

 

⒊文章を上手く書けるようになりたいから

結構、昔から文章を書くことは苦手で。

小学校の卒業文集の文なんて本当に酷い。絶対的に下手なのは当然だが、相対的に見ても下手なのが怖い。

実は、これまで”みっちり勉強する”という経験から逃げてきているので、自分の実力に自信がもてない。

これが自分の性格の全ての根源だったりすることは、またどこかで書こうと思う。

 

上手い文章書ける人は素直に凄いと思う。就活時、某デベロッパーの人に言われた、「文章書けずに大人になったら悲惨だよ。ほんとに。」が、結構印象的で。

ある意味、デベロッパーという文章力との関係が一見薄そうな業界の方に言われたのが、”文章力が社会人一般にいかに必要か”をひしひしと感じさせたように思う。

 

ビジネスにおける”文章力”がブログを通じて向上するのか、そもそも書いているだけで上手くなるのは分からないが、

ひとまず自分の考えをまとめる、ということは無駄にならないのではないかと思う。

 

まとめ

自分は、結構明確な動機付けができていないと行動できないタイプなので、

上記の通り比較的真面目な理由の下、このブログを始めたという話、でした。 

その割にタイトルは寒いなー。

 

1827ーDracula La [Alexandros]

 

人生なんて、もんじゃみたいなもんじゃ

はじめまして。

「人生なんて、もんじゃみたいなもんじゃ」という名前で

ブログを開設してみました。

 

もんじゃ焼きみたいなこの人生について感じたことを、

つらつらと書いていきたいと思います。

 

きままに更新します。