人生なんて、もんじゃみたいなもんじゃ

もんじゃ焼きのような人生に対してのぼやき

「いつか別れる。でもそれは今日ではない」を読んだ男子大学生の所感(3)

第3回です。

今回から、第2章の「優等生の皆様、不良の皆様」に入ります。

引き続き、気になるフレーズを引用しつつ未熟な僕の心を綴っていきたいと思います。

コメント等、依然としてお待ちしております。

 今回は、恋愛に限らず人間関係についての話題が多くなりそうです。

 

私の思う、友達の定義とはこうだ。
自分の思っていることも感じたことも、分かりやすく話す必要もなく、オチをつけたりする必要もなく、面白おかしく話す必要もないままに、ただまっすぐに話していいと思える人。そして相手もまた、そのストレートさで返してくれる人。これを電話でやるのも失礼だと思える人。

中々厳しいですね。自分は「相手のことを思って、きついことを言い合える仲」とかかなと思っていました。

筆者のこの定義、一見「心を許し切った相手」というようにも思えます。しかし、難しいのは最後の一文に筆者なりの礼儀が入っていることです。ゆえに「慣れ」とはまた別なんでしょう。
自分にはこの感覚はありません。話の内容によりますが、その形式にはあまりこだわった事はありませんでした。

電話でやるのも失礼だと思えるほど、友人と意見を戦わせていないのかもしれません。

 

余談ですが、自分はかなりの聞き上手だとよく言われます。自負もしています。

こういう特性がついたのは、自分の話で相手を気持ち良くさせるより、相手の話を聞きそれに対する反応で気持ち良くさせる方が楽だと考えているからです。

聞いてくれるなら勿論答えます。それは基本的には聞いてくる以上、相手を気持ち良くさせるハードルが下がっているからです。

でも、曖昧な返事をすることが多いかもしれません。それは、気分によって答えたいことも変わるし、答えたい確固たる自分があるわけでもないからです。

自分を話す側にさせてくれる友人も多少なりともいます。大事にしたいです。

 

さて。

ここからは、本書の「人間関係に失敗するコツ20」から自分が気になった5つのコツを抜粋して、自分と照らし合わせながらコメントしていきたいと思います。

 

「人間関係に失敗するコツ5」

①黙っていたら伝わると思う。

自分はこれ思いがちです。正直に相手に気持ちを伝えるのは苦手ですね。嫌われるの怖いので。

それでミスしたこと、何度もあります。

 

②最悪な状況で、ジョークを交わすことを忘れる。

これは難しいですね。

「最悪な状況」になってジョークを交わしたら、より「最悪な状況」になりませんか?(笑)

ジョークを交わせる「最悪な状況」って、まだ「最悪」ではない気がします。

 

③言葉にしすぎる、もしくは言葉にしなさすぎる

どちらも苦手ですね。ちょうどいいバランスを把握していないんですよ。

組織に所属するメリットって、ここにあると思います。色んな人との関わりの中で、そのバランスを少しずつ体得できること。自分は、大学四年間あまりちゃんと組織に所属してこなかったので、ここは苦労してます。

 

④いつか返ってくると思って人に親切を施す

基本的に皆さんそう思ってるんじゃないんですか?(笑)

他者貢献により存在意義を確認するっていうアドラー的な考え方もありますが。

 

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

でも、見返りを求めようとしていることが見え見えの人は確かに苦手です。

ちなみに、筆者は「嫌われるの勇気を持つ」ことも人間関係に失敗するコツとして挙げています(笑)

 

⑤上手に甘えられない

これはもう本当に下手ですねえ。だから、④をやりたくなるのです。

弱みをさらけ出していくと甘えやすくなるような気はしているのですが、それはプライドの高い普段の僕が許しません。我ながら子供ですよ本当。

 

以上が「人間関係に失敗するコツ20」から抜粋した「人間関係に失敗するコツ5」でした。

本編に戻ります。

 

喧嘩は、互いの面倒くささを徹底的に想定、容認、あるいは排除することで避けられるものだ。それはつまり、家事も炊事も「得意な方が好きなだけやる」とし「どっちかが気づかなかったことはどちらかがさらりとやってしまう」のである。根底に、「苦手なことをやって不機嫌そうにしているのはダサい」というポリシーを一貫させることで、ご機嫌に暮らす。それだけである。

なるほど。でも、家事においては互いにやりたくないこと絶対ありますよね。

そこは、お互いに想定、容認、排除することで避けるということなのでしょうか。

 

好きなものを好きだと言い続けないと、好きな人は寄ってこない。そして嫌いなものを嫌いだと言わないと、嫌いな人は離れていかない。

自分は、何が好きなんだろう。寄ってくる人が欲しい程に好きなものがどれだけあるだろう。

正直、音楽だけかもしれない。特にロック分野。

でも、ロック好きな人と共感したい想いは、何かお互いに好きなアーティストを勧めあったりすることではなく、「同じように曲を楽しめること」、「曲を元に新しい何かを楽しめること」だ。

例えば、曲の好きなポイントを語り合えたり、お互いに知っている曲の歌詞が共に過ごしている日常に当てはまった際にポッとそれを共有できたり。そういうことがしたい。

あと、知識のある人、面白い考えを持っている人には寄ってきてもらいたい。

知識は、学術的な分野であればなんでもいい。考えは、本当になんでもいい。

僕に無いもの持ってる人大好きです。

いまぱっと思いついたのはこの二つか。なんか、他にも好きなことがあるのに寄ってきてもらいたいと思うほどでは無かったことが少し残念です。

 

中途半端にずる賢くてセコい奴が、いつまでもどこにも行けないのだ。どうしたらちゃんと生きていけるだろう。私は、こうすることにした。永久に語られることのないものだけを見つけ、それをたった一人で愛する。

「永久に語られることのないもの」とは、世に出回らないものをいう。

自分より高い能力、自分が保有しているものより良いものは、すでに世の中に出回り過ぎている。

であれば、世に出回っていない部分を愛そうではないか。撮られたものより撮られなかったものを、優れた人の優れていない部分を・・・。

筆者の意見は、こういうことです。

 

それは、妄想ではないのでしょうか。

本当にその「語られることのないもの」だけを愛することができるのでしょうか。

世に出回る事実に向き合うことは(勿論メディアのバイアス等を見極めた上でではあるが)、「ちゃんと生きていく」ために必要ではないのでしょうか。

恐らく、筆者の思う「ちゃんと生きる」の定義が違うのでしょう。「本を読む本」という本に言う「筆者が使う用語の意味とのすり合わせ」とはこういうことなのかもしれません。

 

本を読む本 (講談社学術文庫)

本を読む本 (講談社学術文庫)

 

最初はこのフレーズ(「永久に語られないものを愛する」)にも共感していたのですが、少し時間を空けてまた読むと感覚が違ってくるものです。

3年後、いや1年後にこの記事を見返したら、「この時の俺若いなあ」と思えるように成長したいところですよ。

今日はこの辺で。

 

RADWIMPS -トアルアルノヒ– 

「いつか別れる。でもそれは今日ではない」を読んだ男子大学生の所感(2)

第2回です。

前回同様に、第1章の「恋愛講座、もしくは反恋愛講座」について、気になるフレーズを引用しつつ、未熟な僕の心を綴っていきたいと思います。コメント等、いつも以上にお待ちしております。

 

いつか別れる。でもそれは今日ではない

いつか別れる。でもそれは今日ではない

 

 

異性に求めるスペックは、愛用している腕時計や、もしくは欲しいと思う腕時計に求めるスペックと同じだという説だ。

 これ、怖くないですか。

人間って欲深い生き物です。物が手に入ったら、それ以上の物がすぐに欲しくなってしまいます。

彼女に冷めてきてしまった時、今よりも少しスペックが高い腕時計が欲しくなったのを思い出して戦慄しました。自分、これ治らない気がします。

元々愛用していた腕時計二つは、それぞれ父と祖父からの貰い物の時計でした。。。

怖いです。ブログなのに、これ以上は書けないほどに怖いです。

次いきましょう。。

 

ところで、これは余談なんですが、僕は好きな相手とデートに行っても基本的に奢りません。

奢るかどうかの基準は、年齢が自分より下かどうか、です。

なぜなら。

第一に、学生時代なんて男女で稼げる能力変わらないのに、男が奢る理由がいまいち理解できないから。社会人になって稼ぎの量が全然変わるならまあ奢るのは分からないでもないですけど。

第二に、奢ってくれることが好きな人にとっての僕とのデートの魅力になって欲しくないから。

理想論だってことはわかります。でも、奢ってくれないからと言って機嫌を損なうような人と付き合っていけないことを本能的に知っている。

奢り尽くしたいほど素敵な女性って出会えるんですかね。

でも、やっぱりそういう女性にほど、奢られないのに好きになって欲しいですね。

 

余談でした。

 

ちなみに、第1章には「男が本当に愛している人にしかしない言動を、好意度100点満点でそれぞれ評価する。」という回があります。ここ、自分の思っている点数と全然合ってなくてビビりました。

そういうところも面白いですね。

 

面白い文章か美しい文章を書く人としか私は会わないときめている。そんな人といざ会ってみたら、面白くない人であったり美しくない人である可能性は数パーセントしかくらいのものである。

好きな人を好きになったきっかけが、見た目でも行動でもなく、その人が書く文章だった時、上手くいくことが多かった。

これは、言われてみるとド共感ですね。学生ですので、文章を見てから会うという経験は稀ですが、LINEをしていて文章が面白い、あるいは美しい人は総じて面白いです。

まあこれは当然のことで、面白い文章・美しい文章をスッと書けてしまう人は基本的に頭が良いんです。そりゃ話してても面白いですよ。

 

ただ好きなように好きなことをする自分のことが好きな人しかもう愛さなくてよし。

この、ある意味受け身な恋愛。いつか、この境地に達してしまうのでしょうか。

自分は、「ただ好きなように好きなことをする自分のことが好きな人」は愛せないと思います。

それは、「自分のファン」であって「恋人」では無くないですか?

自分が気になる数ある女性の中で「ただ好きなように好きなことをする自分のことが好きな人」を選べということなのでしょうか。

相手が喜ぶように振る舞ってみる、というのも一つの愛情表現だと思いますし、素敵な好意だと思うのですが。

 

色気というものについて絞って考えた時、その人が放つ色気の量と、その人が積み重ねた教養の量は、ぴたりと比例するのではないかと私は思う。

 半分共感ですね。色気の量と比例する教養として、筆者は専ら学問を挙げています。狭義の教養とでもいうのでしょうか。

僕は、学問だけでなく、「その人が乗り越えてきた困難や試練、辛さ、その学び」を教養に含めたい。

男女問わず、困難を乗り越えてきた人間の目、雰囲気は魅力的です。

それは、狭義の教養をもっている場合と同様に、物事に対する見方に深みが出てくるから。

その意味で両者は一致しているのです。だから、半分共感。

自分も広い意味での「教養」を身につけていきたいものです。

 

これで一章は終わりなんですね。

次回からは、「優等生の皆様、不良の皆様」という回に入ります。

それでは、今日はこの辺で。

 

あ、ちなみにですが

maroon5のsugarが流れるこのフラッシュモブ動画は見てて幸せになれます。

フラッシュモブ サプライズ 結婚式 Maroon 5 Sugar 披露宴 Flashmob 余興 - YouTube

 

Maroon5 -sugar-

「いつか別れる。でもそれは今日ではない 」を読んだ男子大学生の所感 ⑴

「いつか別れる。でもそれは今日ではない」という本を、久しぶりにフラッと立ち寄った本屋の店頭で見かけて、衝動買いしました。

 

いつか別れる。でもそれは今日ではない

いつか別れる。でもそれは今日ではない

 

我ながら気持ち悪い男子大学生ですね。

初心者マークつけたレジの女性店員さん、本のタイトル見た時に一瞬フリーズしてました。

 

最近、今更ながら自分恋愛できないんじゃないかって思い始めたので、それに対して何かしらの視点を求めていたんですよね。

本に書き込むよりブログで書いていく方が、思考がしやすくなるように思えてきた今日この頃です。気になるフレーズを引用しつつ、未熟な僕の心を綴っていきたいと思います。コメント等、いつも以上にお待ちしております。

 

第1章は、「恋愛講座、もしくは反恋愛講座」です。こういった、反対語を多用する方です。早速、見ていきましょう。

 

解散を祝えないファンは、真のファンでないことくらい知っている。思ったのと違う、と思うのは愛ではないだろう。こうあって欲しいと思うのも、愛ではない。

だとすれば、残念ながら僕は愛を知らないです。

東京事変が解散した時、僕は悲しかったですよ。かっこいいなとは思いましたけどね。

彼女に対しても、こうあって欲しいを求めがちです。子供なのでね。

無理はしないで欲しいと思います。でもそれは、愛というよりは、自分の中途半端な「優しさ」。

求めがちなのに、求めることは相手を傷つけることになりそうだと。

そうやって自分の意見を言わないまま、少しずつ自分の中での彼女への要求が蓄積し、冷めていく。

どうしてこうも人を愛せないのでしょう。自分が悲しいですよ。

 

そうだ。論理的に説明できないから好きになった。あらゆる言葉や修辞ではもはや取り繕えないから好きになった。もはや誰かに説明する必要さえ感じないし、そうすることも不可能だと思えるほど、途方もなく孤独にさせられたから好きになった。一体全体、理由がわからないから、好きなのだ。

僕は、好きになった理由を毎回明確にしているように思います。ゆえに、代替可能だと言われても仕方がありません。求める要素が多い分、”代替可能らしさ”は隠れていますが。

論理的に説明できない好きってなんなんでしょう。そんなことってあるのでしょうか。未熟な僕にはまだ分かりません。

 

そもそも、もっと顔が良い人はいくらでもいた、もっと優しい人は、いくらでもいた。もっと頭の良い人も。もっとお金もちの人もいたのだ。それでも、その人の欠点が故に、その人を好きにならずにはいられなかった事実。・・・長所で好きになり、欠点で愛する。見返りを求めない。特別な理由もない。これが王道の愛し方というものだ。

自分は、欠点を愛することができただろうか。

相手は、僕の欠点を愛してくれた。自分が思う相手の欠点は、愛せなかった。

自分には、寛容さが足りないのです。

 

書きながら思ったのですが、生活における恋愛の比重が高いことがいけないのかもしれません。

今は本当にプー太郎同然の生活を送っているものですから、やることと言ったら読書、ネットサーフィン、友人との飲みくらいのものです。ここに生活のメイン足りうる”恋愛”が入ってくるのですから、求めたくなる気持ちが大きくなるのも当然かもしれませんね。

新しく、何かハマれるものを見つけたり、大きく時間を使える何かを見つければ、気になってしまう欠点も相対的に小さくなっていくのかもしれません。

ただ、それは「小さくなった」に過ぎず、「欠点を愛すること」ではありませんね。難しいですね。

「小さくなる」ことで、見過ごせるレベルになっていくのでしょうか。欠点の内容にもよるので一概には言えないですね。

 

まずは簡単に人を「好き」になった、その「好き」を自己検証した方がいい。自分の「好き」のハードルを、自転車のサドルの高さを調整するように、正確に設定する。相手のなにかをどうしても変えたいなら、それを冷静に話し合えるか。あるいは冷静に話し合える言葉や距離感覚、その余裕を互いが持っているか。その度量はあるか。知性はあるか。経験はあるか。経験はなくても、優しさは、愛はあるのか。
そんな徹底的な自己検証が、誰かを愛する準備のすべてだと思う。

自分の好きのハードルはどこにあるんでしょう。なんとなくいつも考えている「好きのハードル」は二つあります。

一つは、「この人と一緒にいたい。色々な体験を共有したい」と思えること。ただこれ、やっぱり打算的なんですよ。結局自分の体験の効用の最大化しか考えられていません。

二つ目は、「この人の喜ぶ顔が見たい。色んなところに連れていってあげたい」と思えること。

これも上から目線ですね。自分より世界を知っている人を楽しませる自信がないのでしょう。

そういう人達を好きになり、愚直に愛を表現することで付き合い始める方もいますね。尊敬です。

三つ目は、「一緒に何もない日常でも楽しめること」。これも面倒臭がりな性格が見え隠れします。自分で言ってて辛くなります。要するに、デートプラン考えるのが面倒になっても、どんな状況でも楽しめる、ってことですよね。今、気持ち的にネガティブなのでどれも悪い方向に考えがちです。

そう考えると、友人の言っていた「好きになった人がタイプ」というのは、深みのある言葉ですね。

そんな定義づけなんかできないと。気付いたら好きになっていたと。

今度から「好きになった人がタイプ」って言える人がタイプって言おうかな(笑)

 

キリもいいので、今日はこの辺で。

 

椎名林檎 ー望遠鏡の外の景色ー

 

 

芸術に造詣のない僕が思う、一瞬の綺麗さと、永久の綺麗さ

今年の呉花火のポスター、ご覧になりましたか。

キャッチコピーの秀逸さと、哀愁を感じさせるイラストで多くの反響を呼んでいるようですね。

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奥手かて。ブーメランです。

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これは、「とかとか」という文言から妄想だと考えて良いのでしょうか(笑)

ブランコに乗りながら、お相手の姿も描かれていませんし。

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自分にも思いつくとは決して言えませんが、こういうフレーズはしばしば見ますね。

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個人的にはこのポスターが好きです。ポケットに手を突っ込んでいるところがよく感情を表していると思います。

 

ポスターの評価はさておき(笑)、こういった一枚の紙が10万人以上の心に届き、感情を動かしていること、素敵だと思います。

みなさんは一瞬の美と、永久の美、どちらが好みですか?

最初、どちらが好みですか、ではなくどちらが素敵ですか、と書こうとしてやめました。「美」という点で共通していますが、両者は似て非なるものです。まして、具体的な作品も提示せず、概念として両者の素敵さを比べることって、ナンセンスですよね。

さて、好みという点に関しては大いに自分の意見を主張していきましょう(笑)

私に関して言えば、残る方が好きです。

記録が残る記録系のスポーツ、写真、建物、絵など。  

一瞬の美の、風化してしまう感じが苦手なんです。

記憶は、どう頑張っても風化していきます。そして、曖昧になった部分は自分で都合よく記憶を書き換えます。

形が残るものは、その”書き換え”が起こりづらいと思っています。そこに行けば、その物が存在するのですから。

もちろん、写真は構図やタイミングによってその最も良い場面を切り取ることができてしまうため、その当時そのままの情景がそのまま残るものであるとは考えていませんが、いくら構図を変えてもそのレンズの先にその被写体が望みの構図で存在していたことには変わりません。

それを残すことは、記憶の書き換えにはあたらないと思っています。

とは言え、一瞬の美というものも素敵ですよね。花火のように、一度きりの儚さがあるからこそ記憶に残るというものも当然あるかと思います。

 

自分としては、今後形が残る美を生み出せるようにしたいところですね。

絵、曲、建物、写真など……。

残りの大学生活で、少しずつ手を出してみたいと思います。

 

無音

 

中学受験って本当に必要?

最近少し「自分の決断」というテーマで悩んでいて、僕の最初の決断?である中学受験を思い出したのでこれについて書きたいと思います。

僕は、小学校4年生頃からじわじわと中学受験に向けた勉強をさせられていました。

祖父が、自身が通っていた中高一貫校を大変誇りに思っていたようで、
是非自分にも受験してもらいたいと思っていたみたいなんですね。
そこそこの進学校なので、古い考えをもつ学歴主義の父も賛同しました。
それに従って、母も僕を教育しようとしてくれました。
これに対し、当時の僕はこう思っていました。
「なぜ勉強しなくてはいけないの?」
全く分かりませんでした。一度その学校を見学しに行った時、確かに綺麗だなーとかは思っていましたがそれ以上の感情は湧いてきませんでした。むしろ、なぜ小学校時代に仲良くなった友人とわざわざ別れなくてはならないのか、全く意味がわかりませんでした。

母は、良くも悪くもその学校に入ることについての必要性をあまり説いてはいませんでした(多分)。
どこかでは、母も受験する気がない息子を受験させるほどの気力はなかったのでしょう。
目的が不明確なことにはとことん頑張れないのが僕でした。今思えば、ここでこの性格もできてきていたのかもしれません。
そして、私は母親にこう言いました。

「なんでわざわざ友達と離れなくちゃいけないの?」

我ながら、当時の純粋な気持ちが見えますね。その言葉を聞いた瞬間、母親は僕に対する指導をやめました。
後日、「そんな気持ちならやめちまえ!」との言葉を父にかけられました。
負けん気の強い男の子ならここでカチンときて奮起するのでしょうが、自分にはそういう性格は無かったものですから、当然のようにやめてしまいました(笑)
そして、今まで通り友人とウイイレスマブラをする日々に戻ったんですね。

個人的には、子供自体に受験したいという強烈な想いが無いと、中学受験のモチベーションを保たせるのは難しいように思えます。特に僕みたいに先のことを考えられない頭の悪い子供に対しては、先のメリットを見据えて努力させるの難しいですよ。

それでも、自分がもし親になることができ、子供に受験させたい時は以下のように仕向けるなーなんて考えてます。場合分けをして検討していきます。

⒈ 学校生活が上手くいっていない場合

これはもう簡単ですね。自分の子供がそうなっていたら少し辛いですが。あいつらと同じ中学に行きたくないよねと、新しい友達作っていこうと。そういった言葉をかけて進めていきます。いじめまでいかなくとも、あまり友人関係で上手くやれてなさそうであればこのアプローチですね

⒉ その他の場合

①立地で釣る

小学生くらいでも原宿とか憧れたりしませんでしたか?この辺の立地を武器にして頑張らせます。

遊び呆けるというリスクはありますが、地元の中学に行かせてもあんまり良い遊びはどうせしませんよね(笑)。危ないエリアとかさえ行かせなければ、遊びに慣れておくことも悪いことではありません。

②友人で釣る

自分の子供と仲の良い友人が受験する情報を保護者会等で察知すれば、あとは「〇〇君もやっているよ。」戦法ですよね。好きな子が塾に行っているとかならもっと頑張れるんですけどね。

③もので釣る
物に頼らないと頑張れない子供に育ってしまいがちなのでオススメしづらいですが、最後の手段ですね。

  少し話は逸れますが、”もので釣る”という勉強のさせ方は、動機付けとしては良いと思います。勉強が嫌になる理由は「内容が理解できないこと」に他なりません。ある程度なアメを与えて勉強が出来る子になれば、周りに勉強が出来る子が多い環境に身を置くことができるため、その後は自然に勉強する子供に育つと思います。ただし、もので釣る際には、結果に対して物を与えるのではなく、努力に対し物を与えましょう。「〇〇点を取る」という結果を求めた場合、子供はその結果達成のためにどういったアプローチを取れば良いのかが分からず、適切な努力ができません。むしろ、計算ドリルを2周するとか、努力に対してご褒美をあげるようにすることです。このようにして、結果達成のための努力の仕方を把握していった後は、結果に対してのご褒美をあげるようにしても良いでしょう。

この辺りは中室牧子さんの”「学力」の経済学”という本に詳細が述べられていますので良かったらご覧になってみてください。

 

「学力」の経済学

「学力」の経済学

 

 

少し話は逸れましたが、アプローチとしてはこんなところですかね。

ただ総じて思うのは、中学は地元でもそれほど悪くはないぞということです。

自分が行った中学が、相対的に見てどのレベルの荒れ具合だったかは分かりませんが(学年の5%が不登校という感じ)、通って後悔しているかというと全くそんなことはなくて、なんだかんだ良い友達がたくさんできたなという印象です。

一応メリットをまとめとくと、

⑴色んな背景の友人と仲良くなれる

⑵成人式が楽しい

⑶大学生になっても、大人になっても、「ちょっと今から飲まね?」と言える仲間ができる

こんなところでしょうね。詳細は言うまでもないでしょう。

特に⑶は大きいなあと思いますよ。自分は本当にこれで助けられました。

あと、高校から入れる学校も良いところいっぱいありますしね。

とは言え、受験させるのもありだなと思っているから方法論とか考えてしまっているんですよね。

受験してたら今頃どうなってただろうな、とは思いますね。

自分は割と運良くここまで進路が決まってしまった部分があり、良くも悪くも受験等の困難、そして挫折を経験していないのです。これについても、また他の回で考えを書いてみたいですね。

 

とりあえず、本当に中学受験が絶対必要なのか、そんな悩みを抱えている方の助けに少しでもなれば嬉しいです。

では、今日はこの辺で。

 

Capsule -white as snow- 

素敵な夫婦って何

素敵な夫婦・ペアってなんでしょう。

今、とあるカフェでこれを書いているんですが、そもそもこれを書こうと思ったのは隣のご夫婦のお話を聞いていてのことでして。

話、止まらないですねお二人。お二人とも50前後ってところでしょうか。
地元の交通事情の在り方から、旦那様の誕生日に何が欲しいかの話、そして娘の受験とその未来の話について、、、、
素直に素敵だなって思いました。そもそもうちの両親はカフェで談笑なんてことしていないので、素敵な文化だなと。

まあ、そもそも家に自分がいないことも多いので、その時に家で色々と話しているのだと思いますが。

 

なんていうんでしょう。他愛もない話もしているんですよね。

というより、それがほとんどかもしれません。

でもそんな会話を愛おしく思えているように自分は感じました。素敵なことですよね。

 

自分のダメなところは、中途半端な成長思考から、意味のある会話を求めがちだということです。

「思考の整理学」という外山滋比古さんの本に書いてあった、以下の文が良くも悪くも頭に残っていて。

俗世を離れた地的会話とは、まず身近な人の名を引っ張り出さないこと。共通の友人の名前が出ると、どうしても会話がゴシップに終わる。ゴシップは害あって益なし。

 

思考の整理学 (ちくま文庫)

思考の整理学 (ちくま文庫)

 

 実際は、その”ゴシップネタ”が展開された時に、次元や視点を変えて考えればゴシップから離れることはできると思っています。

「え、じゃあその時自分だったらどうする?」とか、

「そういう人ってどうしたらそういう性格治るんだろう。」とか。

実際は、ゴシップネタを展開されている時の空気にもよって、こういう発言はしづらくなる可能性はあります。特にグループの場合は。みんなでその人を叩くのが会話として楽しくなっているということも残念ながらあります。

 

そもそも、意味ある会話にしか楽しみを覚えられないこと自体が、人としての楽しみを制限しているようにも思えます。ここから直す必要もあると思います。

そして、仮に意味のない会話だなあと思っても、周りの雰囲気を見つつ意味のある会話にもっていくくらいのコミュ力はつけないと社会でやっていけないですよね。

 

話が脱線しました。素敵な夫婦、ですよね。今ぱっと思いつく自分なりの”素敵な夫婦”は、

  1. お互いを尊重し、歩み寄りの姿勢を持つこと(妥協や諦めではない)
  2. 無理せず、その時その時を楽しめること。
  3. 新しいことや違いを許容し、その上で楽しめること。

ぱっと思いついたのは、こんなところでした。

 

今の僕は、こんな理想に値する男でしょうか。

なかなか大人になれない僕は、大学4年間過ごせばだんだん大人になっていくんだと思っていました。

自分は結構色んなことから逃げてきた部分があります。

結果として、就職先も自分にしてはとても納得感のあるところに行けてしまったのは、嬉しい反面、これで良いのかという思いもあります。贅沢な悩みですよね。

心配しなくてもちゃんと社会に出れば嫌でも叩きのめされることは承知してるんですけどね。

 

こっから半年間、どうしましょう。就職活動が終わってすぐは10ヶ月間あったと思っていた最後の夏休みが、8ヶ月まで減っています。

人としての幅を広げて、「他愛はない、けどそこに愛はある」そんな話ができる人生でありたい。

そんなお父さん・主人でいたい。

 

今日はこの辺で。

 

素敵な夫婦 ーカフェでの、他愛もないお話ー

大学卒業前に思う、死ぬまでにやりたい100のこと

この記事を書こうと思ったのは、

 

オープンカーの助手席に彼女を乗せて、

大音量でmaroon5の『suger』をかけながら

東京から湘南にかけてドライブ

 

というのを死ぬまでにやりたい、と思ったからだ。

洋画の見過ぎである。

このようなありふれたシーンにinspireされてしまうところが我ながらダサい。

 

しかし、こんな思いつきで書いた死ぬまでにやりたい100のことなど、

最後は惰性で埋めて行くのが目に見えているので、

今日はひとまずいけるとこまでいこうと思う。

 

1 オープンカーの助手席に彼女を乗せて、大音量でmaroon5の『suger』をかけながら東京から湘南にかけてドライブ

サカナクションのライブでmusicを聴いて踊る

ギリシャサントリーニ島へ行く

ニューオリンズでジャズを聴きながら一日過ごす

5 世界一周クルーズで旅する

6 ウユニ塩湖で天国感溢れる写真を撮る

飛田新地で遊び尽くす

8 タージマハルを見る

9 バンドを組み、観客の前で演奏

10 キューバでモヒート飲みながら陽気にブラブラする。

11 ラプソディーインブルーをコンサートで聴く

12 宇宙に行く

13 岡本太郎記念館に行く

14 三日間くらいホームレスをやる

15 激ロックにいく

16 花田優一さんに靴を作ってもらう

17 人生のパートナーたる時計を見つける

18 オーシャンビューの温泉に彼女と入る

19 すだち酒でかんぱーい

 

ひとまずこの辺で。視野が狭いなああ

 

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