久々の更新に何を想ふ
大変ご無沙汰しております。
仕事やら旅行の準備やら勉強やらを言い訳に、更新をサボタージュしておりました。
久しぶりにアクセス解析したら、昨日5pvありまして。
全く記事を更新していないブログにも、どこからともなく誰かが読んでくれている。
そんなことを考えたら、久しぶりに投稿したくなりました。
とは言え、何を書こうかも下書きを漁ったらところ、以下のような文面が見つかりました。
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面白いのはPV数の伸びが指数関数的であるということ。
6月は6pv
7月は12pv
8月は25pv
9月は50pv
10月は100pv
11月はおそらく200pvほど行くでしょう。二日間で14pvほど稼いでいたのでね。
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こんな下書きを書いていたのが昨年の11月です。
月日が流れるのは本当に、本当に早いです。
でも、卒業前にちょっとでもブログを始めといて良かったと思いました。
いざ想いを吐き出したいなって思った時に、
新たにブログという場を作ってから想いを表明するのと
既にある場を使ってそれをやるの
どっちが楽かって話ですよね。
あと、自分と同じような考え方・言葉遣いの人が書くブログを見つけまして。
その人も、僕と同じような時期にブログを始め、僕と同じくらいの時期に挫折してました。笑
その人を見て、久しぶりに自分もゆるーく書くか、なんて思ったわけです。
先述の通り、やはり物事に何かしらの"フック"をかけておくことは重要かと思います。
ブログをやるにせよ、何かスポーツをやるにせよ、過去に一回でもそれをやったことがあれば、多少はその次にやる時のハードルが下がります。
僕みたいな、一歩目が遅い人は特に。
ブログ、自分の想いを綴る場として、考えを記録する場として月一くらいで更新できたらいいな。
なあ、僕とそっくりブロガーさん?
年収は住む地域によって決まるか
『年収は「住むところ」で決まる 雇用とイノベーションの都市経済学』という本を読みました。
地域がもたらす雰囲気とか、地域ごとの違いに注目するのが昔から好きでした。
街をどうデザインしていけば、創造性が高まるのか、活性化するのか、など。
その知的欲求に答えてくれそうなのが、この本だったんです。
年収は「住むところ」で決まる 雇用とイノベーションの都市経済学
- 作者: エンリコ・モレッティ,安田洋祐(解説),池村千秋
- 出版社/メーカー: プレジデント社
- 発売日: 2014/04/23
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- この商品を含むブログ (12件) を見る
米国における、地域と年収の関係について論じた一冊です。
よって、日本のことについては触れられていませんが、日本の街に活かせる部分もあるのではないかと思います。(自分の居住地域選びにも参考にしたい...)
二回に分けて、同著で興味もった部分を記していこうかと思います。
1.年収の高い都市とはどこか
アメリカでは、大卒者の割合が多い都市ほど、大卒者も高卒者も年収が高いです。大卒者高割合都市(ex.ワシントンDC,ボストン)の高卒者平均年収は、大卒者低割合都市(ex.フリント,ストックトン)の大卒者平均年収よりも高かったりします。
これは、以下の三つの理由に基づきます。
一つ目は、高技能労働者と低技能労働者の相互補完性。高技能労働者が増えれば、低技能労働者の生産性も向上するということです。
二つ目は、高技能労働者の存在による、企業の高テクノロジー導入促進効果です。高い技術をもつ労働者は、高度な技術をもつシステムを使いこなせますし、導入に対する抵抗も低いです。
三つ目は人的資本の外部性。公式非公式の盛んな人的交流は、知識の伝播を生み、生産性・創造性を向上させます。
とはいえ、人的資本の外部性により恩恵を受けるのは教育水準の低い人です。これは、教育水準の高い人は、自己の受けた教育の生み出す社会的恩恵を受けてないことを意味します。経済学でいう「市場の失敗」です。
これは、大学教育を受ける動機が低下することに繋がりかねず、これを防ぐために大学教育に公的助成を行うことは正当化されます。
この問題における市場の失敗とは、公共財におけるものです。便益の享受者たる低教育水準者を供給者たる高教育水準者が排除できないとき、フリーライダー問題が発生します。この時、お互いに他人任せの状況が発生し、大学教育を受けるインセンティブが無くなり、大卒者の供給が減少しかねない、ということです。
大卒者が多い都市は創造性・生産性に優れることは先に述べた通りです。このような都市が、シリコンバレーに代表されるような"イノベーションハブ"になりうると言えます。
では、大卒者が多い地域はどこか。その地域の年収は実際に高いのか。
この点については、以下のサイトが詳しく分析を加えている。
https://dot.asahi.com/dol/2016011800044.html?page=3
⒉イノベーションハブのビジネスにおける特徴
では、"イノベーションハブ"のビジネスにおける特徴は何でしょうか。
最も大きいのは、⑴イノベーションに集中できる環境⑵イノベーションが起きやすい環境という二つの特徴に基づくエコシステムがあることでしょう。
⑴シリコンバレーでは、広告、法務、技術・経営コンサル、配送、修理、エンジニアリング支援といった専門サービス提供者が多いです。これによりハイテク企業は副次的な業務に煩わされず、イノベーションに集中できます。
ここで、シリコンバレーにある面白い法律事務所を紹介します。この事務所では、企業の法人化等にかかる手数料の代わりに、新会社の株式を受け取ります。何百何千社と担当したうち、一社でもgoogleやamazonレベルの企業になれば大儲けできるという算段です。
こんなビジネスモデル、ハイテク企業が密集する都市でしか成立しえません。
確かに、手数料でなくても、経済的価値を生むものであれば、サービスの対価になりうるという視点は今後重要なように思います。
数字に表しづらい物の価値を見極められるようにしたいところです。
⑵イノベーションが起きやすい環境
イノベーションが起きやすい環境とはどういった環境でしょうか。これは、その地域において、技術・アイデア・行動力に優れ、情熱ある人や企業の集積があるかどうかだと言えます。
先ほどの知識の伝播ではありませんが、あらゆる発想をもった人々がすぐに交流できる環境は、創造性・生産性を向上させます。こうした状態が、イノベーションハブには必須なのです。
長くなってきたので、続きは次回に回します。
暖房の音
大学卒業直前の僕が思う、大学生活の戦略的過ごし方
学生生活、本当に自由でした。
「できるだけ有意義に過ごしたい」なんて思いながら、結局だらだら友達と遊んで。
でもそれがまた楽しいし、遊んだりだらだらすることって"今しかできないこと"のような気もして正当化して。
頭の良い奴は大学生活遊びまくっても皆が羨むような進路に進むし、
どんなに良い経験しても経験からの学びが薄かったりアピールが下手だとなんか燻っていたりする。
大学生活の過ごし方に正解なんてありません。
しかし今の大学生は
「どう大学生活を過ごすのが最も充実できるのか」
について日々悩んでいることを僕は知っています。実際僕がそうだったのでね。
そこで、今回は
「大学生活の戦略的過ごし方」
なんてテーマで書いていこうかなと思います。
個人によって、また入る大学や学部によっては、それだけである程度大学生活が規定されてしまうところもあるでしょうが、極力あらゆる人の参考になるように書ければと思います。
今回は、私が私立大学文系出身なので以下のようなシリーズで書いてみたいと思います。
0前提
1就活ルート
2公務員ルート
⑴官僚
⑵都庁その他
3資格試験ルート
⑵司法試験
⑶その他
0.前提
信憑生を高めるするために、私の経歴を少し。
と言いたいところなのですが、我ながら結構特殊な大学生活を送っていて、
特定されるのも面倒なので書きません。
学生の皆さんが大学時代にやりそうなことは留学以外一通り経験した、とだけ言っておきます。
さて、
まず大学生活はどういった時期か、というのを自分なりに以下のように定義づけてみました。
「自分を形作り、磨き始める時期」
どういう意味か。
あくまで学部を卒業したら社会人として働くという前提のもと、話を進めます。
中学や高校までは、クラスの中に席があり、出席番号なるものがつき、何もせずとも一人一人に居場所があったかと思います。
しかし、大学以降はそうではありません。
大学のクラスなんてあってないようなもの、8桁の学籍番号は君らに全く居場所を提供してくれません。
そんな中、大学生活においては自分が何者なのかを改めて考えさせられることになります。
これは、就職活動でも残念ながら起こり得ます。
就活において企業の人事は
「会社に価値を提供してくれる人か」
を見ています。
もちろん、価値、とは様々な形があります。よって、その価値を提供できる性格や能力にも種々のものがあります。
しかし、「貴方が誰なのか」に答えられないような学生は、とても採用しようがありません。価値を提供してくれるか全く分からないのですから。
よって、貴方が誰なのか、を曲がりなりにも少しずつ自分なりに定義づける四年間にすべきかと思います。
これは、必ずしも学生生活の一貫性を意識したりだとか、1つのことのみに集中しろと言ってるわけではありません。
色々なことに自分なりの考えを持って挑戦していく中で、少しずつ自己を理解していくのでも良いと思います。
1つ注意して欲しいのは、自分を形作ることを目的としないで欲しいということ。自分の形とは、意識して作るものではなく、徐々に、かつ自然にできていくものだと思います。
自分の興味のあることに、とにかく足を突っ込んでみる。気に入ったらとことんやってみる。そんな中で、少しずつ見えてくるものだと思います。
どのような道を選んだとしても、一般性があると自分なりに考えているポイントをまずは挙げてみようと思います。
⑴迷ったらとにかく視野を広げろ。
高校までは、皆さんとても狭い世界で生きています。大学生は、有り余る時間と自由な身分を持つことから、人生で最も視野の広がる時期の一つだと思います。
ではなぜ視野を広げるべきなのか。
①面白い人間になる素地ができる
ちきりんさんのブログには、面白い人には二つのパターンがあると述べられています。
- 素で面白い奴
- 面白い経験をしてきた奴
本当に同感です。
どんなにつまらない奴でも、「アマゾン川でピラニア釣りやって、現地人と一緒に焼いて食べた」とか言う話してきたら、結構面白いですよね。
そして、変な経験をしようとすると、そこには同じような考えをもった変な奴がいるわけです。そういう人達と仲良くなることで、さらに貴方の面白みは深まります。
②卒業後を考える上で大事
自分も、大学生活の途中から今まで付き合ったことない連中と一緒に活動し始め、本当に視野が広がりました。
今時、そういう知人がfacebookとかで変なイベントを色々シェアしてくれたりするんですよね。自分の思考に近い偶然のでき子供や出会いを、意図的に作り出すためにも、視野をどんどん広げておくことは大事です。増えすぎた情報を絞ったり整理するのは、後からでいい。
面白そうなイベントや団体を見つけたら、飛び込んで入ればいい。
でも、そういった事案を見つけやすく、かつ飛び込みやすくするには、
変なイベントに精通している奴らと出会うのが手っ取り早い。
じゃあどのような場所で会えるのか。
出会い方は様々。上記以外にもいくらでもあります。
⑵何かしら、大学生活で4年間での目標のようなものを考える。
本当に何でもいいから、軸は作ったほうがいいと思います。
- とにかく社会人になってから後悔しないレベルまで遊んで遊んで遊び尽くす
- 誘われたらお金の許す限り断らない
- ひたすら色んなことにチャレンジする
- 何かの分野で日本一になる
こんな感じで、四年間ブレない軸を大学入る前の春休みに立ててみましょう。受験からも解放されて一番楽しい時期だけど、四年間の充実度を上げるためにも、少し時間をとって是非とも考えて欲しい。
決めるのが難しかったら、ハードルを下げるなり、ベクトルを変えるなりしてみましょう。
大学生活って、本当に自由。自由すぎて、自分がブレブレになることがある。
そんな時、行動指針みたいなものがあるといい気がするんですね。
軸持って行動している人って、なんか魅力的に映るしね。
ちなみに、自分はそういうものがなかったので苦労しました。
最初に入った団体を途中で辞めて、別の団体に入って、途中でまた嫌になって、、
という大学生活。
最初から色々なものにチャレンジする、って決めていれば、
中途半端に色々やった自分の大学生活を肯定させられたかもしれない。
なんてね。
汎用性があるのは、この2つくらいでしょうか。
この2つを意識しつつ、好きな勉強なりサークルなりを思いっきりやってください。
深さを意識するのは、ある程度視野が広がってからでいいと思います。
あとは、各論ということで次回また書くことにします。
夜の静けさ
「いつか別れる。でもそれは今日ではない」を読んだ男子大学生の所感(4)
お久しぶりです。今回が第4回です。最後です。
第3章の「寂しいって言って」、第4章の「恋愛を越えろ、夜を越えろ、永遠を越えろ」から抜粋します。コメント等、依然としてお待ちしております。
最初は、「20歳の時に知っておきたかったことリスト」より二つ。
賢さ・強さ・美しさという言葉の意味を、自ら定義し、その定義を体現し続けること
これ大事な気がしますね。何事も自分の中で定義づけることは大事だと思っています。今暫定的に考えたのはこんな感じでしょうか。
賢さ
自分が直面したことのない事案に対し、自分がもっている情報から、一定の示唆を示せること。そのために考え抜くことができること。
強さ
自分の弱い部分を認めた上でやるべきことを見極め、結果を出しに行けること
美しさ
自分の年齢ごとに味を出せること。
これは、考えが変わったら更新しようと思います。定義の変遷を見ていくのも面白いかもしれません。
真っ先に挙げられる愛読書を10冊は読むこと
⑴嫌われる勇気
⑵いつか別れる、でもそれは今日ではない
⑶私の個人主義
最近読んだ本ばかりなのが我ながら情け無いです。 これから愛読書作ります。
付き合うのは二人でいると楽しいからだ。快楽を最大化するためだ。
結婚するのはどちらかが病める時や貧しい時、その不幸を最小化するためだろう。
病める時、貧しい時、自分は今のパートナーに寄り添い、その不幸を最小化できるか。パートナーは自分に寄り添い、その不幸を最小化するために動いてくれるか。
僕は、面白い人間ではないと思っています。快楽を最大化することが付き合うことの目的であるとすれば、僕は中々女性と付き合うことはできないでしょう。僕がいることで快楽が最大化する女性は少ないように思います。勿論、努力が足りていないことは十分に承知しています。
それでも、たまにですが、僕にも異性に人気の出る時期があります。
これは、自分で言うのもなんですが、女性側の不幸を最小化できるオーラが出ているからではないかと思います。簡単に言えば、「余裕がある」っぽいということです。
あと、僕は冬にモテることが多いです。
思うに、夏は集団で遊べるイベントが多く、出会いも遊びの場も豊富です。そんな時期には僕みたいな陰キャよりもウェイウェイサークル勢みたいなのに惹かれるものかと思います。僕でもそうします。
一方、冬というのは集団で何かをするイベントよりも、1対1の関係で楽しむイベントが夏に比べて多いように思います。人肌恋しさもあるでしょう。「既存のコミュニティだと夏は楽しいけど冬一緒に越せそうな人いないなー」なーんて思っている時に、ニットとか着て似非余裕オーラを醸し出す男性が現れるとひょっとしてしまうことがあるのかもしれないです。
結局、何かが起きる前に関係を終わらせてしまうんですけどね。非モテですよ。
結婚する意味という言葉は、ともすれば暴力的な響きをもつ。意味だなんて言葉を人間関係に使うなんて、おかしい。そこには、意味やメリットなんてなくてもいい。むしろ、意味がないからこそ、メリットがないからこそ、二人の関係は、恐ろしい強度を獲得し得るのだ。
確かに、意味を考える結婚というのは嫌です。でも、意味を考えずに決められるほど、自分には結婚が軽いものであるとは思えません。
ただ、彼女に経済的に独立する意思があるかどうか、は気にしています。
なぜなら、経済的に独立できる女性でなかった場合、経済面での依存が結婚の意義になってしまいかねないからです。
個人的には、お互いが経済的に独立した上で、それでも結婚という選択をする方が、ある意味「意味・メリットがない」ことだと思っています
ただこれも、自信が無いからこそ思ってしまうことなのかもしれません。
自信が無いとは、主に以下の2点についてのことです。
⑴経済的なメリットを自分が提供できなくなることがあるのではないか
⑵その際、経済的メリット以外に自分がパートナーを留めておけるかどうか
まあ、お互い自立したペアを今形成できているのは、⑵の心配をしなくていいということなんでしょうか。
でも、一方で子供をしっかり育てて欲しいとかいう思いもあるから自分勝手です。
ある意味、夫が稼いで妻が育てるという構図は楽ですよね。分業体制は楽です。
今後は二人で子供の未来を作っていくくらいの気持ちは必要ですよね。夫婦ともに、仕事と家事の両方に生産性の向上が求められます。
コミュニケーションの本質は、期待しないことにある
本当にその通りだと思います。相手の理解力に期待するな。何度でも、どんな手段を使っても、伝えようとしろ。それこそ、コミュニケーションの本質です。
以上で「いつか別れる。でもそれは今日ではない」の連載を終えようと思うのですが、
なんだか最後の方は自分の話ばかりになってしまいました。
そして、文体が著者のFさんに似てきてしまったことが我ながら気持ちが悪いです。
カラスの鳴き声と雨の音
「いつか別れる。でもそれは今日ではない」を読んだ男子大学生の所感(3)
第3回です。
今回から、第2章の「優等生の皆様、不良の皆様」に入ります。
引き続き、気になるフレーズを引用しつつ未熟な僕の心を綴っていきたいと思います。
コメント等、依然としてお待ちしております。
今回は、恋愛に限らず人間関係についての話題が多くなりそうです。
私の思う、友達の定義とはこうだ。
自分の思っていることも感じたことも、分かりやすく話す必要もなく、オチをつけたりする必要もなく、面白おかしく話す必要もないままに、ただまっすぐに話していいと思える人。そして相手もまた、そのストレートさで返してくれる人。これを電話でやるのも失礼だと思える人。
中々厳しいですね。自分は「相手のことを思って、きついことを言い合える仲」とかかなと思っていました。
筆者のこの定義、一見「心を許し切った相手」というようにも思えます。しかし、難しいのは最後の一文に筆者なりの礼儀が入っていることです。ゆえに「慣れ」とはまた別なんでしょう。
自分にはこの感覚はありません。話の内容によりますが、その形式にはあまりこだわった事はありませんでした。
電話でやるのも失礼だと思えるほど、友人と意見を戦わせていないのかもしれません。
余談ですが、自分はかなりの聞き上手だとよく言われます。自負もしています。
こういう特性がついたのは、自分の話で相手を気持ち良くさせるより、相手の話を聞きそれに対する反応で気持ち良くさせる方が楽だと考えているからです。
聞いてくれるなら勿論答えます。それは基本的には聞いてくる以上、相手を気持ち良くさせるハードルが下がっているからです。
でも、曖昧な返事をすることが多いかもしれません。それは、気分によって答えたいことも変わるし、答えたい確固たる自分があるわけでもないからです。
自分を話す側にさせてくれる友人も多少なりともいます。大事にしたいです。
さて。
ここからは、本書の「人間関係に失敗するコツ20」から自分が気になった5つのコツを抜粋して、自分と照らし合わせながらコメントしていきたいと思います。
「人間関係に失敗するコツ5」
①黙っていたら伝わると思う。
自分はこれ思いがちです。正直に相手に気持ちを伝えるのは苦手ですね。嫌われるの怖いので。
それでミスしたこと、何度もあります。
②最悪な状況で、ジョークを交わすことを忘れる。
これは難しいですね。
「最悪な状況」になってジョークを交わしたら、より「最悪な状況」になりませんか?(笑)
ジョークを交わせる「最悪な状況」って、まだ「最悪」ではない気がします。
③言葉にしすぎる、もしくは言葉にしなさすぎる
どちらも苦手ですね。ちょうどいいバランスを把握していないんですよ。
組織に所属するメリットって、ここにあると思います。色んな人との関わりの中で、そのバランスを少しずつ体得できること。自分は、大学四年間あまりちゃんと組織に所属してこなかったので、ここは苦労してます。
④いつか返ってくると思って人に親切を施す
基本的に皆さんそう思ってるんじゃないんですか?(笑)
他者貢献により存在意義を確認するっていうアドラー的な考え方もありますが。
でも、見返りを求めようとしていることが見え見えの人は確かに苦手です。
ちなみに、筆者は「嫌われるの勇気を持つ」ことも人間関係に失敗するコツとして挙げています(笑)
⑤上手に甘えられない
これはもう本当に下手ですねえ。だから、④をやりたくなるのです。
弱みをさらけ出していくと甘えやすくなるような気はしているのですが、それはプライドの高い普段の僕が許しません。我ながら子供ですよ本当。
以上が「人間関係に失敗するコツ20」から抜粋した「人間関係に失敗するコツ5」でした。
本編に戻ります。
喧嘩は、互いの面倒くささを徹底的に想定、容認、あるいは排除することで避けられるものだ。それはつまり、家事も炊事も「得意な方が好きなだけやる」とし「どっちかが気づかなかったことはどちらかがさらりとやってしまう」のである。根底に、「苦手なことをやって不機嫌そうにしているのはダサい」というポリシーを一貫させることで、ご機嫌に暮らす。それだけである。
なるほど。でも、家事においては互いにやりたくないこと絶対ありますよね。
そこは、お互いに想定、容認、排除することで避けるということなのでしょうか。
好きなものを好きだと言い続けないと、好きな人は寄ってこない。そして嫌いなものを嫌いだと言わないと、嫌いな人は離れていかない。
自分は、何が好きなんだろう。寄ってくる人が欲しい程に好きなものがどれだけあるだろう。
正直、音楽だけかもしれない。特にロック分野。
でも、ロック好きな人と共感したい想いは、何かお互いに好きなアーティストを勧めあったりすることではなく、「同じように曲を楽しめること」、「曲を元に新しい何かを楽しめること」だ。
例えば、曲の好きなポイントを語り合えたり、お互いに知っている曲の歌詞が共に過ごしている日常に当てはまった際にポッとそれを共有できたり。そういうことがしたい。
あと、知識のある人、面白い考えを持っている人には寄ってきてもらいたい。
知識は、学術的な分野であればなんでもいい。考えは、本当になんでもいい。
僕に無いもの持ってる人大好きです。
いまぱっと思いついたのはこの二つか。なんか、他にも好きなことがあるのに寄ってきてもらいたいと思うほどでは無かったことが少し残念です。
中途半端にずる賢くてセコい奴が、いつまでもどこにも行けないのだ。どうしたらちゃんと生きていけるだろう。私は、こうすることにした。永久に語られることのないものだけを見つけ、それをたった一人で愛する。
「永久に語られることのないもの」とは、世に出回らないものをいう。
自分より高い能力、自分が保有しているものより良いものは、すでに世の中に出回り過ぎている。
であれば、世に出回っていない部分を愛そうではないか。撮られたものより撮られなかったものを、優れた人の優れていない部分を・・・。
筆者の意見は、こういうことです。
それは、妄想ではないのでしょうか。
本当にその「語られることのないもの」だけを愛することができるのでしょうか。
世に出回る事実に向き合うことは(勿論メディアのバイアス等を見極めた上でではあるが)、「ちゃんと生きていく」ために必要ではないのでしょうか。
恐らく、筆者の思う「ちゃんと生きる」の定義が違うのでしょう。「本を読む本」という本に言う「筆者が使う用語の意味とのすり合わせ」とはこういうことなのかもしれません。
- 作者: J・モーティマー・アドラー,V・チャールズ・ドーレン,外山滋比古,槇未知子
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1997/10/09
- メディア: 文庫
- 購入: 66人 クリック: 447回
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最初はこのフレーズ(「永久に語られないものを愛する」)にも共感していたのですが、少し時間を空けてまた読むと感覚が違ってくるものです。
3年後、いや1年後にこの記事を見返したら、「この時の俺若いなあ」と思えるように成長したいところですよ。
今日はこの辺で。
RADWIMPS -トアルアルノヒ–
「いつか別れる。でもそれは今日ではない」を読んだ男子大学生の所感(2)
第2回です。
前回同様に、第1章の「恋愛講座、もしくは反恋愛講座」について、気になるフレーズを引用しつつ、未熟な僕の心を綴っていきたいと思います。コメント等、いつも以上にお待ちしております。
異性に求めるスペックは、愛用している腕時計や、もしくは欲しいと思う腕時計に求めるスペックと同じだという説だ。
これ、怖くないですか。
人間って欲深い生き物です。物が手に入ったら、それ以上の物がすぐに欲しくなってしまいます。
彼女に冷めてきてしまった時、今よりも少しスペックが高い腕時計が欲しくなったのを思い出して戦慄しました。自分、これ治らない気がします。
元々愛用していた腕時計二つは、それぞれ父と祖父からの貰い物の時計でした。。。
怖いです。ブログなのに、これ以上は書けないほどに怖いです。
次いきましょう。。
ところで、これは余談なんですが、僕は好きな相手とデートに行っても基本的に奢りません。
奢るかどうかの基準は、年齢が自分より下かどうか、です。
なぜなら。
第一に、学生時代なんて男女で稼げる能力変わらないのに、男が奢る理由がいまいち理解できないから。社会人になって稼ぎの量が全然変わるならまあ奢るのは分からないでもないですけど。
第二に、奢ってくれることが好きな人にとっての僕とのデートの魅力になって欲しくないから。
理想論だってことはわかります。でも、奢ってくれないからと言って機嫌を損なうような人と付き合っていけないことを本能的に知っている。
奢り尽くしたいほど素敵な女性って出会えるんですかね。
でも、やっぱりそういう女性にほど、奢られないのに好きになって欲しいですね。
余談でした。
ちなみに、第1章には「男が本当に愛している人にしかしない言動を、好意度100点満点でそれぞれ評価する。」という回があります。ここ、自分の思っている点数と全然合ってなくてビビりました。
そういうところも面白いですね。
面白い文章か美しい文章を書く人としか私は会わないときめている。そんな人といざ会ってみたら、面白くない人であったり美しくない人である可能性は数パーセントしかくらいのものである。
好きな人を好きになったきっかけが、見た目でも行動でもなく、その人が書く文章だった時、上手くいくことが多かった。
これは、言われてみるとド共感ですね。学生ですので、文章を見てから会うという経験は稀ですが、LINEをしていて文章が面白い、あるいは美しい人は総じて面白いです。
まあこれは当然のことで、面白い文章・美しい文章をスッと書けてしまう人は基本的に頭が良いんです。そりゃ話してても面白いですよ。
ただ好きなように好きなことをする自分のことが好きな人しかもう愛さなくてよし。
この、ある意味受け身な恋愛。いつか、この境地に達してしまうのでしょうか。
自分は、「ただ好きなように好きなことをする自分のことが好きな人」は愛せないと思います。
それは、「自分のファン」であって「恋人」では無くないですか?
自分が気になる数ある女性の中で「ただ好きなように好きなことをする自分のことが好きな人」を選べということなのでしょうか。
相手が喜ぶように振る舞ってみる、というのも一つの愛情表現だと思いますし、素敵な好意だと思うのですが。
色気というものについて絞って考えた時、その人が放つ色気の量と、その人が積み重ねた教養の量は、ぴたりと比例するのではないかと私は思う。
半分共感ですね。色気の量と比例する教養として、筆者は専ら学問を挙げています。狭義の教養とでもいうのでしょうか。
僕は、学問だけでなく、「その人が乗り越えてきた困難や試練、辛さ、その学び」を教養に含めたい。
男女問わず、困難を乗り越えてきた人間の目、雰囲気は魅力的です。
それは、狭義の教養をもっている場合と同様に、物事に対する見方に深みが出てくるから。
その意味で両者は一致しているのです。だから、半分共感。
自分も広い意味での「教養」を身につけていきたいものです。
これで一章は終わりなんですね。
次回からは、「優等生の皆様、不良の皆様」という回に入ります。
それでは、今日はこの辺で。
あ、ちなみにですが
maroon5のsugarが流れるこのフラッシュモブ動画は見てて幸せになれます。
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Maroon5 -sugar-
「いつか別れる。でもそれは今日ではない 」を読んだ男子大学生の所感 ⑴
「いつか別れる。でもそれは今日ではない」という本を、久しぶりにフラッと立ち寄った本屋の店頭で見かけて、衝動買いしました。
我ながら気持ち悪い男子大学生ですね。
初心者マークつけたレジの女性店員さん、本のタイトル見た時に一瞬フリーズしてました。
最近、今更ながら自分恋愛できないんじゃないかって思い始めたので、それに対して何かしらの視点を求めていたんですよね。
本に書き込むよりブログで書いていく方が、思考がしやすくなるように思えてきた今日この頃です。気になるフレーズを引用しつつ、未熟な僕の心を綴っていきたいと思います。コメント等、いつも以上にお待ちしております。
第1章は、「恋愛講座、もしくは反恋愛講座」です。こういった、反対語を多用する方です。早速、見ていきましょう。
解散を祝えないファンは、真のファンでないことくらい知っている。思ったのと違う、と思うのは愛ではないだろう。こうあって欲しいと思うのも、愛ではない。
だとすれば、残念ながら僕は愛を知らないです。
東京事変が解散した時、僕は悲しかったですよ。かっこいいなとは思いましたけどね。
彼女に対しても、こうあって欲しいを求めがちです。子供なのでね。
無理はしないで欲しいと思います。でもそれは、愛というよりは、自分の中途半端な「優しさ」。
求めがちなのに、求めることは相手を傷つけることになりそうだと。
そうやって自分の意見を言わないまま、少しずつ自分の中での彼女への要求が蓄積し、冷めていく。
どうしてこうも人を愛せないのでしょう。自分が悲しいですよ。
そうだ。論理的に説明できないから好きになった。あらゆる言葉や修辞ではもはや取り繕えないから好きになった。もはや誰かに説明する必要さえ感じないし、そうすることも不可能だと思えるほど、途方もなく孤独にさせられたから好きになった。一体全体、理由がわからないから、好きなのだ。
僕は、好きになった理由を毎回明確にしているように思います。ゆえに、代替可能だと言われても仕方がありません。求める要素が多い分、”代替可能らしさ”は隠れていますが。
論理的に説明できない好きってなんなんでしょう。そんなことってあるのでしょうか。未熟な僕にはまだ分かりません。
そもそも、もっと顔が良い人はいくらでもいた、もっと優しい人は、いくらでもいた。もっと頭の良い人も。もっとお金もちの人もいたのだ。それでも、その人の欠点が故に、その人を好きにならずにはいられなかった事実。・・・長所で好きになり、欠点で愛する。見返りを求めない。特別な理由もない。これが王道の愛し方というものだ。
自分は、欠点を愛することができただろうか。
相手は、僕の欠点を愛してくれた。自分が思う相手の欠点は、愛せなかった。
自分には、寛容さが足りないのです。
書きながら思ったのですが、生活における恋愛の比重が高いことがいけないのかもしれません。
今は本当にプー太郎同然の生活を送っているものですから、やることと言ったら読書、ネットサーフィン、友人との飲みくらいのものです。ここに生活のメイン足りうる”恋愛”が入ってくるのですから、求めたくなる気持ちが大きくなるのも当然かもしれませんね。
新しく、何かハマれるものを見つけたり、大きく時間を使える何かを見つければ、気になってしまう欠点も相対的に小さくなっていくのかもしれません。
ただ、それは「小さくなった」に過ぎず、「欠点を愛すること」ではありませんね。難しいですね。
「小さくなる」ことで、見過ごせるレベルになっていくのでしょうか。欠点の内容にもよるので一概には言えないですね。
まずは簡単に人を「好き」になった、その「好き」を自己検証した方がいい。自分の「好き」のハードルを、自転車のサドルの高さを調整するように、正確に設定する。相手のなにかをどうしても変えたいなら、それを冷静に話し合えるか。あるいは冷静に話し合える言葉や距離感覚、その余裕を互いが持っているか。その度量はあるか。知性はあるか。経験はあるか。経験はなくても、優しさは、愛はあるのか。
そんな徹底的な自己検証が、誰かを愛する準備のすべてだと思う。
自分の好きのハードルはどこにあるんでしょう。なんとなくいつも考えている「好きのハードル」は二つあります。
一つは、「この人と一緒にいたい。色々な体験を共有したい」と思えること。ただこれ、やっぱり打算的なんですよ。結局自分の体験の効用の最大化しか考えられていません。
二つ目は、「この人の喜ぶ顔が見たい。色んなところに連れていってあげたい」と思えること。
これも上から目線ですね。自分より世界を知っている人を楽しませる自信がないのでしょう。
そういう人達を好きになり、愚直に愛を表現することで付き合い始める方もいますね。尊敬です。
三つ目は、「一緒に何もない日常でも楽しめること」。これも面倒臭がりな性格が見え隠れします。自分で言ってて辛くなります。要するに、デートプラン考えるのが面倒になっても、どんな状況でも楽しめる、ってことですよね。今、気持ち的にネガティブなのでどれも悪い方向に考えがちです。
そう考えると、友人の言っていた「好きになった人がタイプ」というのは、深みのある言葉ですね。
そんな定義づけなんかできないと。気付いたら好きになっていたと。
今度から「好きになった人がタイプ」って言える人がタイプって言おうかな(笑)
キリもいいので、今日はこの辺で。
椎名林檎 ー望遠鏡の外の景色ー